2009年02月24日

カルト化教会が作り出した悪魔

2009/2/24 23:56
「カルト化教会が作り出した悪魔」  信仰の虐待とマインドコントロール
 「マインドコントロールの恐怖」(スティーブン・ハッサン/著 浅見定雄/訳 恒友出版)を読んでいます。
以前この本を読んだのは、カルト化教会を脱会して、すぐグライの頃だったので、ほとんど意味がわからなくて、挫折してしまっていました。
今読み返すと、とても理解できるようになっていて、自分でも驚いています。
これもリハビリの成果かな。

少しずつ時間をかけて読んでいるので、読むスピードが遅くて、少し焦ってしまいます。
それで、ちょっとだけ先の目次を見てみたら、「恐れと罪責感による操作」という項目があったので、読んでみました。

カルトでは問題が生じれば、それはメンバーの落ち度、信仰の弱さ、理解不足、悪い先祖、悪霊のせいとされているとありました。
他には何かあるかを考えてみました。
その他には、「祈りが足りない」、「み言葉を読んでいないから」、「考えが世的だから」などと責められていました。

悪霊の影響と言われれば恐怖感にかられて悪霊追い出しをするし、「信仰が足りない」、「祈りが足りない」と言われれば罪責感を持つ。
カルト化教会にいた頃は、こんなことばかりでこれでは平安な気持ちで過ごせなかったのも、無理ないと思います。

同じ項目の箇所に、悪霊についても書かれてありました。引用します。
「私が出会ったどの破壊的カルトでも、恐れが大きな動機付けとなっている。
どのグループにもそれぞれの悪魔がいて、メンバーを誘惑し、堕落させようと待ち伏せている。
グループが呼び出す悪魔がいきいきしていて、現実的であればあるほど、それが作り出す結合力も強烈になる。」(スティーブン・ハッサン/著 浅見定雄/訳 恒友出版)

これお読んで思わず笑ってしまいました。
「どのグループにもそれぞれの悪魔がいて」っておもしろい表現だし、カルト化教会の悪霊追い出し、霊的戦いを言い当てているなあって思って、おかしくなりました。
そう、カルト化教会が追い出そうとしているのは、本物のサタンや悪霊ではなくて、「カルト化教会が、カルト化教会の虐待的牧師が、勝手に作り出した悪霊」なんですよねー。

信徒を操作するために作り出した悪魔がいきいきするように、「病の霊」、「不信仰の霊」、「恐れをいだかせる霊」、
「神様を否定する霊」などと、言って、悪霊追い出しをしていたんですね。

いくつ者カルト化教会が悪霊追い出しをしています。
それらの悪霊はそのグループが作り出した悪霊たち。
想像すると、何だかこっけいでおかしいです。
カルト化教会にいる悪霊は怖くないです。

  



2009年02月18日

聖書が教える「愛」って…

2009/2/18 20:37
「聖書が教える愛って…」  支援
 前回の記事で、私は虐待的牧師の愛は、上辺、偽り、見せかけの愛と思う、と書きました。
私はカルト化教会所属時代から、(神様の愛がわからない。愛ってどんなのだろう?)と悩んでいました。
あんな所にいたら、わからなくなって当然です。

この間の日曜の礼拝の説教を聞いていて、辛くなったことを以前ブログに書きましたが、
なぜ責められているように感じたのかを考えて、その理由を今の教会の牧師にメールで送りました。
なぜ説教を聞いて、責められているように感じたのか?
それは、虐待的牧師が説教の中で、誰かを責めるようなことを言っていたからでした。

聖書通読のことは前に書きましたが、その他にも奉仕のことだったり、特定の人の弱さだったり…。
そのようなことで、説教の中で責めていました。
ひにくと感じる言い方をしていました。
そんな情景を見てきたので、説教の中で厳しい表現を聞くと、自分が責められているように感じたのだと思います。

そのことを、先生にメールで伝えました。
説教は一方的なものではなく、対話的なものであること。
だから観想を聞けてよかった。
そのような返事が来て、驚きました。
そんなこと、今まで聞いたことがありませんでした。
そんなこと、言ってもらったことはありませんでした。

さらに、「私の言葉で傷がうずくときは言ってください。」とも書いてくださっていました。
先生、ありがとうございます。

今も神様について、信仰について、聖書の言葉の意味、正しい解釈、わからないことだらけで、
2元論の考え方とか、自己否定の考え、辛い記憶、フラッシュバック…。
様々な困難なこと、辛くなる状況はあるけれど、助け、支えようとしてくださる先生との対話、メールで励まされています。

村上先生には、私はいつも突然電話して、質問したり、悩み、苦しさを聞いてもらってるけど、
1度たりとも面倒そうにしたり、「もっと祈りなさい。」、「神様に信頼しなさい。」、「これぐらいもわからないの。」と叱責されたことはありません。
いつも丁寧に答えてくださり、教えてくださいます。

パスカルさんは、いつもいつも「あせらないで。ぜったいによくなります。」と励ましてくれて、否定的な考え方をする私に、
私ができたこと、よくなったこと、自分で気づけたことを伝えて、肯定的な評価をしてくださいます。

私は、今も辛いことがあり、傷が残っていて、快復過程だけど、周囲の人たちに支えられています。
ずうっと(愛がわからない。神様の愛がわからない。聖書の言う愛がわからない。
イエス様を信じていると言いながら、虐待的牧師やそれを庇う牧師たちは、あんな酷いことしてるじゃない!愛なんて言われても信じられない。)と思っていました。
でも、最近、今まで私を支え、助け、慰めてくれた人たちのことを思い出しながら、(聖書の言う愛ってこんなのかな。)と感じています。

  


Posted by スイトピー at 20:37学んだ事、考えた事旧ブログ記事

2009年02月17日

上辺だけの愛、偽りの愛、見せかけの愛

2009/2/17 20:27
「上辺だけの愛、偽りの愛、見せかけの愛」  信仰の虐待とマインドコントロール
 虐待的牧師は、よく「皆さんの事を愛しています。」と言っていました。
祈りの中でも「愛」という言葉をよく言っていました。
「『互いに愛し合いなさい。』、これがこの教会の土台の言葉です。」と言っていました。

厳しい事を言う時は、「あなたを愛しているから、言っているんですよ。」と言っていました。
私は、ずっとその言葉に騙されていました。ごまかされていました。
虐待的牧師が本当に愛の人だと本気で思い込んでいたのですから…。マインドコントロールって本当に恐ろしいと思います。

村上先生のブログ http://maranatha.exblog.jp/ の2月15日の「カリスマの暴走」という記事の中に、こんな文章があります。献金についてです。
 

指導者は、神の祝福を得るために収入の10分の1を神に捧げるように礼拝の中で度々強調します。
そして、10分の1を捧げない信者に対して、礼拝の中で名を伏せて「神のものを盗んでいる」と泥棒呼ばわりしています。

(中略)10分の1がそんなに重要な教えならば、律法の他の部分も守ったらよいでしょう。
食物規定(豚等の汚れた動物を食べるな)、土曜安息、割礼を守ること、動物の犠牲を捧げることも同様に守ったらよいでしょう。
10分の1だけを信者に強制するのは、教会運営を重視しした方法論です。重い教会税を神の名によって強制しています。

異邦人教会に使徒たちが10分の1を捧げるように強制しているでしょうか。1箇所もそのようなところはありません。
旧約からキリストの十字架の贖いを飛び越えて現代人に律法に属することを適用するのは問題です。
 

私は個人的に虐待的牧師から、「十1をしないのは、神のものを盗んでいる泥棒ですよ。」と言われました。これはマラキ書に書いてある言葉ですが、
聖書の全体から見て考えると、これだけ強調するのはおかしいし、虐待的牧師が言っている事は、聖書の言葉を使って、十1をするように強制しています。み言葉を使っている脅しだと思います。
虐待的牧師は全く聖書を知らなかったのです。
信徒を責めたり、否定したりするために、み言葉を利用していたのです。
これこそ、信仰の虐待です。

しかも私は、収入がいくらか、給料がいくらか、聞かれました。
「仕事ができなかったり、仕事がない人は仕方ないけど、あなたは仕事しているんでしょう。」
「十1をしたら、何倍にも祝福されます。『試してみよ』と書いてあるでしょう。
神様を試していいと書いてあるのは、ここだけなんですよ。
私は、あなたに祝福を得てほしいから、言っているんですよ。」

虐待的牧師の言葉を思い出し、こうして書いていて思うのは、虐待的牧師はいつも上からものを言っていたなぁということ。
謙遜さもないし、言葉の中に励ましも愛も感じられないということ。

この間、他のカルト化教会を脱会した友人に、「虐待的牧師から十1を強制され、その時、収入を聞かれたけど、牧師がそんな事言うの、おかしいよね。」と質問したら、「おかしい。」との答えでした。
正統派教会の友達にも聞いてみたら、「そんなの、普通はぜったいにしないよ。」との答え。

昨日、村上先生に電話して質問しました。
「それはプライバシーの侵害だ。」と言ってました。
「牧師は、普通、そんなこと、聞かないんですよね。」
「聞かないよ。」
「じゃあ、私は答える必要はなかったんですよね。」
「答える必要もないし、それよりも聞く必要もないでしょう。」

「私は皆さんを愛しています。」、「あなたのためにいつも祈ってますよ。」
それが虐待的牧師の口癖でした。
本当に愛しているのなら、あれほどの言い方で十1を強制するでしょうか?
圧力をかけるでしょうか?
泥棒呼ばわりするでしょうか?

カルト化教会では、聖書通読が競争のようになっていた時期がありました。
虐待的牧師は、聖書を読むようにとよく言ってました。
それだけなら問題はありませんが、註解書や信仰書を読むことは止められていて、
それよりも、聖研、祈祷会に来て、学ぶようにと言っていました。
集会に出席して勉強したら、聖書がわかるようになると言っていました。

礼拝だったか、祈祷解のときだったか、聖研のときだったかは忘れましたが、説教中に、通読ができていない人の名を呼んで、「1度でも通読したことありますか?」と聞いて答えさせていたことがありました。
当然その人は、「できていません。」と皆の前で答えます。
皆の前で通読できていないことを公表すること、答えさせることで圧力をかけていたんだなと思います。
これもいじめではないでしょうか?
こういうことをするのが「愛」なんでしょうか?
本当に祈っているなら、自分のしたこと、言ったことを思い起こし、悔い改めもできるでしょう。

「愛している」なら、なぜ、忠告した人を追い出したのでしょうか?
なぜ、サタン追い出しの祈りをしたのでしょう?
虐待的牧師の口癖の「愛」は、上辺だけの愛、偽りの愛、見せかけの愛だったのだと思います。

  


Posted by スイトピー at 20:27カルト化教会旧ブログ記事

2009年02月16日

異端と同じ方法を使っていた弟子訓練セミナー

2009/2/16 0:10
「異端と同じ方法を使っていた弟子訓練セミナー」  信仰の虐待とマインドコントロール
 昨日、礼拝後、先生と学びをしました。
「聖書とはどのようなものか。なぜ大切か」について学びました。
その中で、エホバの承認の聖書の学び方は、聖書の色々な箇所を抜き出し、都合のよいように繋げたり、貼りあわせて、教えると話されました。
次々とたくさんの聖書箇所をあけさせて自分たちの言っている事の正しさを示そうとするらしいのです。

その事を聞いた時、カルト化教会で受けた弟子訓練を思い出しました。
弟子訓練セミナーでは、2時間半ぐらいの話の間、次々とたくさんのみ言葉を開きました。
皆テキストを見るのと、指示された聖書箇所をあけるので大変でした。

今の教会の説教では、1箇所しかひらきません。
話の中で、説明するために、他の箇所を1箇所ぐらいは、引用する事はあるけれど、あっちこっちの箇所を開かせる事はありません。

点字の聖書の場合は、いろんな箇所から開かせられると、とても大変なのです。
たとえば新約でも、8巻あったし、旧約は20数冊あるのです。
カルト化教会での弟子訓練セミナーの時は、私はテーブルの横に何冊も聖書を積み上げていました。
どんどんひらくので、片付ける時間がなかったのです。

エホバの承認がやっている方法と、私の受けた弟子訓練セミナーの手法と同じだったとは驚いたし、ショックでした。
たくさんの聖書箇所を使い、長い時間話を聞かせ、1度にたくさんの情報を与えるのは、きっと思考停止にして、信徒に考えさせる事を止めさせるためにしたのでしょう。

  


Posted by スイトピー at 00:10カルト化教会旧ブログ記事

2009年02月13日

新たな教会生活

2009/2/13 23:59
「新たな教会生活」  教会生活
 今年に入ってから行き始めた教会の先生は、カルト化教会問題を真剣に受け止めてくださっています。
カルトの専門家ではないので、M先生やD先生、あるいはカウンセラーのような対応を求める事は難しいけど、
私の話しに耳を傾けてくださって、一生懸命関わってくださっている事が感じられて、感謝です。
私の聖書の学びを助けてくださっています。

この教会は、礼拝も落ち着いていて、静かで、とても安心できます。
皆声をかけてくれるけど、カルト化教会のような、異様な歓迎はありません。
カルト化教会の賛美は、賑やかな曲が多くて、礼拝ももりあがる雰囲気です。
だから、私はそのような賛美は大の苦手なので、この教会の礼拝の賛美は、とても安心できるのです。

説教も違います。
カルト化教会では、牧師の体験談や何かの本に載っていた感動的な話とか、
レーナマリアさん、三浦綾子さん、星野とみひろさんたちのような有名人の話が多かったです。
教会員で熱心な人の事もメッセージの中で、話される事がありました。

しかし、今の教会は、聖書の話し、み言葉の解き明かし以外の話は本当に少なく、先生は、聖書中心で話をされているのです。
だから、私にとっては、少しレベルが高く、難しく感じる事もありますが、
そのような聖書に忠実な、落ち着いた説教を聞ける事を、とても嬉しく思っています。

今までいくつか教会を訪ねたけど、この教会が一番落ち着けて、安心して行けるので、この教会でおせわになろうかな、と考えています。
家から遠いので、毎週通うという事は、難しいかもしれないけど…。

夕方、用事があって教会に電話しました。
牧師先生は帰られたとの事で、伝道師の先生が牧師のお家の電話番号を教えてくださいました。
最近仕事が忙しいので、昼間に使用で電話する事ができないのです。
お手洗いへ行くのも、気を使いながらという感じ。
だから、先生のお家の番号を教えていただいて、本当に助かりました。

私は、カルト化教会を脱会して2年半になりますが、今でも教会に電話する時は、すごく緊張するのです。
虐待的牧師に連絡をとりたい場合、携帯に電話する場合でも、1度教会に電話して、スタッフに「今、先生に電話してもいいですか?」と確認してOKが出ないと電話できませんでした。
たいていは、許可は出ませんでした。

虐待的牧師の電話に関しては、いやな思い出、辛い思い出が多いので、今でも牧師に電話するというのは、私にとって、とても大変なのです。
たとえば、普段は全く、私の家にも、携帯にも虐待的牧師から電話がかかってくる事なんてなかったけれど、
悩んでいて教会へ行けなくなった時には、必ずかかってきました。
そして、「落ち込んでいるのは、教会に来ないからです。」と責められるのです。
祖父が亡くなった時、私が証しができなかったと言って、責めたのも電話でした。
だから、本当に牧師との電話は緊張します。

M先生に電話する事は、最近はだいぶなれてきました。
最初の頃は、朝から緊張して、(出だしは何て言おうかな。)と悩んでいました。
いざかける段になると、電話番号を書いたメモを持って、電話の前で10分ぐらい躊躇していました。
そして、「さあ!今から電話するぞ!」と決心してからでないと電話できませんでした。

なれない教会、初めての所への電話は、まだまだ緊張します。
緊張だけでなくて、恐怖心もあるのです。
伝道師の先生がお家の電話番号を教えてくださった事もすごく驚きました。
思わず、「お家に電話してもいいんですか?」と聞いてしまいました。

先生のお家に電話した時は、さらに緊張しました。
出られるまで少し時間があって、それがまた、緊張感を高めます。
(伝道師の先生は、「電話していいですよ」と言ってくれたけど、お家に電話して本当に大丈夫だろうか?)と心配になりました。

先生は、とても親切に対応してくださって、ほっとしました。
私が「礼拝に行きたいけど、バス停から教会までの道がわからない」と相談すると、
「バス停につく少し前に教会に電話してくださったら、誰か迎えに行くようにします。」と言ってくださいました。

カルト化教会では、けっしてありえない事でした。
こんな事、虐待的牧師に相談したら、すごく責められて、とても恐ろしい状況になったでしょう。
カルト化教会では、そんな事、牧師が気にかけて、配慮してくれるなんて、全くありませんでした。
現に、私はカルト化教会時代、送迎の件で、すごく辛い目に遭っているのです。
この事は、いずれ、また記事にしたいと思います。

日曜日、礼拝後、先生は時間をとってお話ししてくださるそうで、とてもありがたいと思います。
急がしそうですごく申し訳ないと思うけど…。
あまり依存しないようにと思うし、早く自立した信仰者になりたいんだけど、
普通の正統派の教会の事がまだまだ何もわからなくて、不安でいっぱいなのです。
こんな弱い自分が情けなく感じます。
早く成長したい。

 
 ☆ スイトピーコメント
「カルト化教会奪回後、数年間の間、わたしは「早く成長したい」と思って一生懸命でした。
あせっていました。
なぜそんなに成長にこだわったのか。これもカルト化教会の影響だったと思います。
成長することなんてそんなにこだわる必要はなかったことだったと今はわかります。
成長させてくださるのは神様なのだから…。
努力することは必要な場合もあるけど、それもほどほどがよいし、成長は自分でどうにかできるものでもないので、それほどこだわらなくてもよいと思います。
何とかなるのだから。
それに場所に慣れるとか、考え方が変化するというのは、これは時が来ればそうなるのだから、あせらなくてもよいと思います。
今はそう思えるのだけど、あの時はまだまだあせっていました。
  


2009年02月02日

主に期待しよう

2009/2/2 0:34
「主に期待しよう」  支援
 昨日、礼拝に行きました。
この教会の牧師夫妻は、カルト化教会問題の事も本当に真剣に受け止め、考えてくださっているので、礼拝にも安心して出る事ができます。
礼拝も静かで落ち着いているし、賛美も聖歌なので、カルト化教会を思い出す事も少なくて、安心できるのです。

礼拝後、先生ご夫妻と一緒に聖書の学びをしました。
教会は互いに愛し合い、助け合う場所、主の恵みと愛が感じられる場所であるという事を学びました。
その中で、先生が、「牧師は信徒の上に立って命令する人ではなくて、信徒の中にいるのです。」と言って、
今までの経験から、信徒の方に励まされた時の話をしてくださいました。
牧師も信徒に励まされる事があるって、とても新鮮な感動でした。

「牧師が聖書から反れた事を語り始めたら、『先生、それは違います』と指摘してもいい」ともおっしゃっていました。
村上先生からはそのように教えていただいたけれど、他の牧師から聞くのは初めてだったので、かなり驚きました。

聖書の学びの後も1時間近く先生ご夫妻とお話をしました。
私の話も真剣に受け止めてくださって、先生ご夫妻も本音で答えてくださって、とても有意義な時間でした。

私は脱会してから、自分がいたカルト化教会の事だけではなくて、裁判になった教会や霊の戦いを強調する教会、カルト化教会を擁護する牧師たちの事を知り、一時期はとても絶望的な気持ちでした。
なぜ、こんな苦しみ、孤独を通らされるのかと思いました。
村上先生の援助にはとても感謝しているし、先生を信頼しているけれど、なぜ、沖縄の牧師が誰も助けてくれないのかと、被害者の側に立ってくれないのかと悲しく思っていました。

カルト化教会で信仰の虐待を受けた事。心理操作をされた事も、
クリスチャンとして、信仰生活の中では、最悪な経験をしました。

その上、悪霊追い出しや先祖の影響とか、預言とか、そういったものを重要視する教えが
どんどん沖縄の教会に入ってきているのを感じて、
また、沖縄の多くの牧師たちが、カルト化教会牧師たちを擁護しているのを見て、
なぜ、さらにこんなしんどい思いをしなければならないのか、と思っていました。
沖縄のカルト化教会被害者たちの叫び、祈り、涙も主には届いていないのではないか、と悲しくなる事が多かったです。

しかし、主は沖縄の中での理解者、支援者との出会いを起こしてくださいました。
この牧師夫妻との出会いを本当に主に感謝しています。
神様、ありがとうございます。

今まで(もうだめだ。)と思った事が何度もあったけれど、そんな暗闇の中にも、
絶望の深みの中にも、主は助けの手を伸ばしてくださいました。
沖縄のカルト化教会問題の事で、私が悲しんで、落ち込んでいた時、村上先生が、
「今、目に見える事は辛く思えるかもしれないけど、主は働いておられるから。」と励ましてくださった事がありました。
本当にそのとおりでした。
どんな絶望からでも主は救い出してくださるのですね。
今までの経験を通して、主に信頼し、期待する事を教えられたような気がします。

 
 ☆ スイトピー コメント
このブログを書いてからもう15年近く経ったのですが、今思い返しても(本当に神様はわたしを助け、良い人、理解者と出会わせてくださったんだなぁ。)と思います。
わたしは今は教会事態にも、牧師たちにも失望しきって、もう何も期待してないので、あの時のように悲しむことはなくなりました。
だけど、神様をずっと信頼できるようになったし、心の傷や後遺症からも回復させてもらいました。
この記事に書いている先生にはとてもおせわになったし、後遺症のとても苦しい時期を助けていただきました。
その後は星の子教会(2016年3月末閉鎖)の小河先生におせわになりました。
小河先生はわたし以外のカルト化被害者にも関わってくださって、カイロスの会やぶどうの会にも毎月参加してくださって、
被害者に寄り添い、支援してくださいました。

神様はその後もカルト化被害のことを理解してくれる人との出会いを与えてくださったし、
カルト化のこと、信仰のこととは別に良い人、尊敬できる人たちとの出会いを与えてくださいました。

わたしはカルト化教会で傷つき、クリスチャンとして最大の試練を通ったと思っていましたが、
神様はそのことから助け出してくださり、回復させてくださっただけではなくて、それ以上に良いことをたくさん与えてくださいました。
  


Posted by スイトピー at 00:34