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2009年02月18日

聖書が教える「愛」って…

2009/2/18 20:37
「聖書が教える愛って…」  支援
 前回の記事で、私は虐待的牧師の愛は、上辺、偽り、見せかけの愛と思う、と書きました。
私はカルト化教会所属時代から、(神様の愛がわからない。愛ってどんなのだろう?)と悩んでいました。
あんな所にいたら、わからなくなって当然です。

この間の日曜の礼拝の説教を聞いていて、辛くなったことを以前ブログに書きましたが、
なぜ責められているように感じたのかを考えて、その理由を今の教会の牧師にメールで送りました。
なぜ説教を聞いて、責められているように感じたのか?
それは、虐待的牧師が説教の中で、誰かを責めるようなことを言っていたからでした。

聖書通読のことは前に書きましたが、その他にも奉仕のことだったり、特定の人の弱さだったり…。
そのようなことで、説教の中で責めていました。
ひにくと感じる言い方をしていました。
そんな情景を見てきたので、説教の中で厳しい表現を聞くと、自分が責められているように感じたのだと思います。

そのことを、先生にメールで伝えました。
説教は一方的なものではなく、対話的なものであること。
だから観想を聞けてよかった。
そのような返事が来て、驚きました。
そんなこと、今まで聞いたことがありませんでした。
そんなこと、言ってもらったことはありませんでした。

さらに、「私の言葉で傷がうずくときは言ってください。」とも書いてくださっていました。
先生、ありがとうございます。

今も神様について、信仰について、聖書の言葉の意味、正しい解釈、わからないことだらけで、
2元論の考え方とか、自己否定の考え、辛い記憶、フラッシュバック…。
様々な困難なこと、辛くなる状況はあるけれど、助け、支えようとしてくださる先生との対話、メールで励まされています。

村上先生には、私はいつも突然電話して、質問したり、悩み、苦しさを聞いてもらってるけど、
1度たりとも面倒そうにしたり、「もっと祈りなさい。」、「神様に信頼しなさい。」、「これぐらいもわからないの。」と叱責されたことはありません。
いつも丁寧に答えてくださり、教えてくださいます。

パスカルさんは、いつもいつも「あせらないで。ぜったいによくなります。」と励ましてくれて、否定的な考え方をする私に、
私ができたこと、よくなったこと、自分で気づけたことを伝えて、肯定的な評価をしてくださいます。

私は、今も辛いことがあり、傷が残っていて、快復過程だけど、周囲の人たちに支えられています。
ずうっと(愛がわからない。神様の愛がわからない。聖書の言う愛がわからない。
イエス様を信じていると言いながら、虐待的牧師やそれを庇う牧師たちは、あんな酷いことしてるじゃない!愛なんて言われても信じられない。)と思っていました。
でも、最近、今まで私を支え、助け、慰めてくれた人たちのことを思い出しながら、(聖書の言う愛ってこんなのかな。)と感じています。



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