2017年05月06日

自死について (3)

引き続き「自死の予防について」の記事です。
知人や友人、あるいは家族から、「死にたい。」、「自殺したいと考えている」とうちあけられた場合、
たいていの人は慌て、(もし本当に死んでしまったら…。)と思って不安と恐れを感じる事が多いと思います。
そしてそんな事を言う人に対して、不安から「なんでそんな事を言うの(考えるの?)?」と詰問したり、
「そんな事、言ったらだめだよ。あなたより大変な人はもっとたくさんいるし、その人たちだって頑張って生きているんだから、それぐらいで死ぬとか考えてはいけない。」と説教してしまうかもしれません。
あるいはその人の話を聞くよりも、自分が話す方が多くなって、「死んではいけない」と説得するかもしれません。
死にたいとうちあけられた時、うちあけられた側がどのような気持ちで受け止め、どのように考えたら冷静に落ち着いた気持ちで対応できるのでしょうか。
その事を村上先生にメールで尋ねました。
 
 (私) 私がかつて「死にたいです。」と電話した頃、私はうつ状態でした。薬も飲んでいて、毎日思いつめていました。
私がどんなにパニックになっていたり、混乱していたり、死にたいと考えている時も
村上先生はいつも口調も声も落ち着いていて、普段と同じでした。
対応もいつも同じでした。
それで私はとても安心しました。
話をしていたら、少しずつ落ち着くことができました。
村上先生は、なぜいつも落ち着いて話を聞いたり、話せたりできるのですか?
 (村上先生) それは対話を必要としているからです。
しっかり対話をすればよいのです。
 (私) 本気で自殺したいと思いつめていたり、実行しそうな人を前にして、心配になったり、怖くならないですか?
 (村上先生) 電話を掛けてくる人は自死を選ばないで対話を選んだ人です。しっかり向き合うことです。
それは怖いことではなく、真剣な対話です。
対話を継続できるように心掛けることです。
 
「死にたい」とうちあけられ、そこでもしも「そんな事考えちゃだめでしょう。周囲の人の事も考えなさい。」とか、
「神様がくださった命をどうしてそんな粗末にするの!」とか、「自殺は罪ですよ。」なんて言ってしまったら、
うちあけられた側は言いたい事を言っているけど、死を思いつめ悩んでいる人はそこで気持ちを話す事さえもシャットアウトされてしまう。
そして苦しい気持ちは受け止められず、「死んではいけない。」、「死んでほしくない。」という言葉も心に届かないで素通りしてしまうのです。
うちあけられた人も自分の不安を抑え、自分が話したい気持ちを抑えて、相手の話を聞く事は難しいと感じるかもしれません。
しかし、逆の立場で自分が深い悩みの中にいて、話を聞いてほしくて、わかってほしくて電話した時、
相手から話を聞いてもらえずに一方的に解決法とか、気持ちの持ち方などを説教されたらどうでしょうか。
心は軽くならないし、生きる気力はわいてこないでしょう。
誰かから「死にたい」とうちあけられたら、
(しっかり対話する事。話に耳を傾けて、その人の思いを知る事。
最後まで話を聞く事。
そして『あなたに死んでほしくないです。』と伝える事。
それがこの人の自殺防止になる。
自殺はだめと言うよりも、その人の話をしっかりと聞き、心を知る事に力を注ごう。)
それを心にとめて、話を聞いて寄り添ってほしいと思います。
  


Posted by スイトピー at 12:57

2017年05月06日

自死について (2)

前回に引き続き、自死の予防についての記事。
「自死の予防について」の私と村上先生のメールを引き続き引用します。
前回の記事で書いた事ですが、私がかつて死にたいと思いつめて、村上先生に電話した時の事を、思い出しながら書いた後に私はこのように確認しました。
 
 (私) 自殺の予防は、話を聞く事、その人の気持ちを理解して、それでも生きていてほしいと伝える事ですよね。
 (村上先生) 電話を掛けてきたことが自分を知ってほしいからです。
死にたいのであれば、電話するより死を選択しています。
受けとめることが大切です。
死にたいほどの体験をした。生きる希望を持てない心の状態です。
でも、闇は光に打ち勝たない。必ず朝が来ます。
「私も自死を考えたことがあります。
けれども、今、生きています。
生きててよかったと思っています。
私はあなたが死ぬことを望んでいない一人です。
電話を掛けてくれてありがとう。
最後になるかもしれない話し相手に私を選んでくれてありがとう。
その私は、あなたに生きていてほしいです。」
このように伝えたら、相手は迷惑と思って電話を掛けたのだけれども、感謝されるとは思いませんよね。
でも、聞き手は、大きな学びを受けたのです。それは心を知ることです。
 
村上先生はよく「私は信徒や相談をしてきてくれる方々から様々な事を教えていただきました。学びました。」とおっしゃいます。
自死を思いつめて、助けを求めている人との対話、そのような人たちからも「学びを受けた。」、「教えていただいた」と言えるってすごいなぁと思います。
私もカルト化教会を脱会して後の後遺症からの回復の過程、心の調子を崩して通院していた時、試練に遭った時、信仰上の悩みにぶつかった時…。
様々な時に村上先生に相談して、色々な事を教えていただきました。今もそうです。
私は自分が相談する事で先生に迷惑をかけているんじゃないか、と気になっていたけど、そんな事はなかったんだなぁと思って嬉しかったし、感謝しました。
そして自分も誰かから相談を受けた時、もしも「死にたい」とうちあけられたとしても、「私が助けてあげる」などとは考えずに、
身を低くして話を聞き、その人の気持ちを理解して寄り添う事のできる人になりたい。
そう願っています。
そして、そうなれるように神様に祈っていこうと思います。
 
悩みの解消 : 村上 密 Blog http://maranatha.exblog.jp/12050134/

  


Posted by スイトピー at 12:52

2017年05月06日

自死について (1)

数日前の投稿で5月27日に行なわれるカイロスの会のセミナーについてお知らせしました。
テーマは、「自死について」です。
教会では、「自殺は罪です。」と教えられる事が多いです。
しかし、教会以外でも「死にたい」と言っている人を攻めたり、「そんな事言ってはだめ。」、「そんな事したらだめ。」、と批難する事は、日本の社会では多い事だと思います。
自殺未遂した人を冷たい目で見る事もあると思います。
また、「そんな事したら親が悲しむ。家族がどんなにつらい思いをするか、苦しむか考えなさい。」と説教する人もいるかもしれません。
しかし、それが本当に自殺の予防になるでしょうか。
その人が死を思いつめるほどの気持ちでいる。もう死ぬしかないと思いつめて、その事しか見えなくなっている。
それなのに攻めたり、批難したり、説教して、それがはたして死を思いとどまらせる事に繋がるでしょうか。
私は今回のセミナーのために記事を書こうと思って、村上先生にメールで質問をしました。
私の質問と村上先生の答えです。
 
 (私) 自殺の予防について、教えてください。
「自殺は罪です。」と教えるのは、自殺の予防にはならないですよね。
 (村上先生) なりません。罪悪感を植え付けるだけです。
 (私) 村上先生は、「話をよく聞く事、その人の思いをわかってあげる事、
理解して寄り添ってくれる人がいたら、自分の事を本当に心配してくれる人がいると知ったら、人は死なない。」とおっしゃったと記憶していますが、それで合っているでしょうか?
 (村上先生) そうです。私の話を最後まで聞いてくれる人がいた。今の気持ちを理解してくれる人がいた。これが予防につながります。
【引用ここまで】
 
私は6年前、自殺を考えた事がありました。
PTSD(posttraumatic stress disorder  心的外傷後ストレス障害)と診断され、眠剤と抗不安薬を飲み、通院とは別に村上先生のカウンセリングを受けていました。
カルト化教会を脱会して、様々な後遺症(極度の不安、強い罪責感、強い恐怖心、自己否定の思い、etc)に苦しんでいました。
ただでさえつらいのに、様々なストレスが重なり、症状が悪化した事がありました。
それまでも(こんなにつらいのだったら、生きていたくない。)と思った事はありましたが、その時は本気で死にたいと考えて、「完全自殺マニュアル」を読みました。
死ぬ事でしか楽になれないと思いつめていたのです。
しかし、自殺を思いつめ、「完全自殺マニュアル」を読んでいましたが、なぜか村上先生に電話していました。
カルト化教会では「自殺は罪」、「他殺と同じ罪」と教え込まれていたし、キリスト教書でも「自殺は罪」、「神様から与えられた命を捨てる事」とか書かれていたし、「自殺は罪」というクリスチャンが多かったので、(自殺したら天国に行けないんだろうな。)と考えて恐怖心がありました。
それと最後に自分の気持ちを話してみよう、と思いました。
それで村上先生に電話しました。
「こんな事言ったら怒られると思うんだけど…。」と前置きして、恐る恐る今死にたいと考えていて、「完全自殺マニュアル」を読んだ事を伝えました。
「死にたいと思っている。」と伝えたらきっと「そんな事考えてはいけない。」と怒られて、「自殺は罪です。」と言われると思っていましたが、
村上先生はいつもと変わらず穏やかに、落ち着いて、私の話を聞いてくださいました。
村上先生がその時私になんて言ってくださったのかは覚えていません。
しかし、電話を切る前に私が「もう少し頑張ってみます。
だけど、もしもまた死にたい気持ちになって、実行しそうになったら、村上先生に電話してもいいですか。」と聞いた時、
「いいですよ。」と言ってくださった事が嬉しかったのを覚えています。
「死にたいなんて考えたり、言ってはだめ。」と怒られないで、否定されないで、話を聞いてもらえて、私の苦しい気持ちを理解してもらえた事でとても安心できました。
そのような自分自身の体験からも思います。
自殺しようと思いつめている時というのは、説教されたり、説得されても心に響かないどころか、ますます絶望してしまいます。
「そんな事したら、親や兄弟、友人が悲しむでしょう。」と言われても、そんな時に他の人の事まで思いやったり、気配りする余裕なんてないので、そのような言葉は心を素通りしてしまうのです。
あの時、村上先生が私の気持ちを否定せずに聞いてくださって、気持ちをわかってくれた事。
対話してそれを生きる方向に自然に繋げてくださった事が私の支えになりました。
 

  


Posted by スイトピー at 12:47

2017年05月04日

カイロスの会セミナー

カイロスの会セミナー


「自死について」


 2017年5月27日、カイロスの会でセミナーの講師を務めることになった。テーマは「自死について」である。以前、「自殺は罪ですか」と題して、ブログに記事を掲載した。これは、自死を罪とみなす今までの見解を覆す内容で、大きな反響があった。
カルト化教会の問題を扱うようになって、自死をよく聞くようになった。大きなストレスや深い罪悪感を植え付けられていることが背景にある。
今回のセミナーでは、カルト化教会における自死の原因と予防について詳しく語る予定である。
参考までに、「自殺は罪ですか」のブログの記事を掲載した。


自殺は罪ですか


 自殺は罪であるという教えに多くの人が苦しんでいる。本当に罪だろうか。罪だと言う根拠にモーセの十戒が引用されるが、これは自殺を罪とする根拠にはならない。これは「殺してはならない。」(出エジプト20:13)であって、自殺してはならないではない。殺してはならないと命じる神が、イスラエルの民を滅ぼそうとする民を滅ぼせと命じられることもある。
こういうわけで、何が何でも殺してはならないわけではない。これはイスラエル共同体の中で、殺しがあってはならないとの戒めで、これを破る人は死罪になる。死刑を実行する人は罪に定められない。自殺が罪と明確に書いてある箇所は聖書の中にない。
これはキリスト教の歴史の中で罪とされてきたもので、これは改めなければならないものである。
自殺してはならないを、キリスト教の教えとして広く伝えることになったのは、三浦綾子さんの『細川ガラシャ夫人』である。ガラシャ夫人は自殺は罪なので、家臣に自分を殺させている。これを美談にしている。死を選択しなければならない状況で、自殺できないので他人に自分を殺させる。もし自殺が罪なら、殺させることも罪である。
何事も置かれた状況によるのであって、一律に自殺を罪とする考え方は誤っている。
法律は自殺を罪としていない。聖書の中でも自殺を罪としていない。自殺を罪とするのは、習慣的な考え方である。この習慣が自殺した人の遺族を苦しめる原因になっている。作られた罪意識が、人を苦しめるなら、私たちはそれを変えていかなければならない。鬱の回復期の自殺を罪と見做すのは酷である。自死を選択するはどに追い詰められた状況、原因にも目を向けるべきだ。よって、私は自殺を罪とするキリスト教的な教えを聖書の教えと違うものと見做している。


●講師 村上 密 牧師

●日時 2017年5月27日(土) 13:30~16:00

●場所 沖縄船員会館 第二会議室(那覇市前島3-25-50 TEL 098-868-2775)

 ※お車でお越しの方は、とまりんの駐車場をご利用ください。

●参加料 1000円

●お問合せ newlife0102@hotmail.com 090-9782-5892(新垣)
  


Posted by スイトピー at 13:56カイロスの会からのお知らせ