2008年05月30日

警戒心と信頼関係

2008/5/30 20:07
「警戒心と信頼関係」  リハビリ
 私はカルト化教会を脱会してから、誰かと知り合ったあと、
付き合い方がとても慎重になりました。
以前は、(クリスチャンだから、この人は信用できる。)
(牧師だからこの先生は信頼できる。)と
最初からまったく警戒せずに、いろんなことを喋っていたような気がします。

カルト化教会から脱会して、私は
誰かと知り合っても、最初はかなり距離を置くようになりました。
相手がクリスチャンだから、牧師だからと言って最初からまったく警戒しないで、
何でもかんでも話すのは恐いと考えるようになっていました。
それはカルト化教会での経験から、
「あなたのことを愛しています。」といくら言っていても、
蓋を開ければそれはまったくの嘘、偽りだったということがわかったからです。

脱会してから数ヶ月後、ある牧師に、カルト化教会のことを話すときでも、
一つだけエピソードを話してみて、相手の反応を見ました。
その先生は、「それは信仰の虐待ですね。」と言ったけど、
もう少し話しているうちに、カルト化の問題なんてまったく知らないし、
私の苦しみを本気で知ろうとしてくれていないように感じました。
上辺だけの優しさを感じました。

「聖書をちゃんと読んでいたら教会の間違いに気づきます。」
と言われたとき、(この人と話すのは無理だ。
この人には2度と相談しない。)と決めました。
私が全て信頼して最初から問題全部を話さなかったこと、
自分の気持ちをほとんど話さなかったことはよかったと思いました。

村上先生にいじめのトラウマのことを話せたのも、相談に乗っていただくようになってから、1年経った頃です。
今まで話をしながら、先生の反応を観察していました。
いじめのトラウマのことも、虐待的牧師から言われたことや適用された聖書の言葉で傷ついたことも、
もっと前に話したいと思っていたけど、言い出せませんでした。

(こんなことまで話して大丈夫か。)
(「それは自己中心の罪」って言われないか。)
(「もっと祈りなさい。」と言われないか…。
心の片隅で心配でした。

先生はいつも誠実に接してくれていたから、そんな風に考える自分をいやだと思っていました。
先生に申し訳なく思っていました。
でも、信頼関係ができるまでには時間が必要だし、
一つ一つの積み重ねによって信頼関係は生まれるのだと気づきました。

話すとき相手の反応を見て、この人は信頼できるかどうかを観察するのは、当たり前のことなんですよね。
そのことで、罪悪感を感じる必要などなかったのです。

私が村上先生を信頼できると思ったのは、信頼し始めたのは、深刻な相談のときでも、私がとても悲しんでいるときでも、感情的な雰囲気になったりしないで、いつも落ち着いてきちんと聞いてくれたこと。
同じ質問でもわかるまで説明してくれたし、何度「わからないからもう1度教えてください。」と言っても、呆れたり、叱責しなかったこと。
「こんなこともわからないの。」なんて1度も言わないで、いつも丁寧に話してくださって、教え方や説明を工夫しておられるのが感じられました。

集会や礼拝のときはお祈りするけど、カウンセリングの途中で手を置いて祈ったり、話している途中に威厳で祈ることもしないで、きちんと話を聞いてくれる。
1年間観察して、心の中のこと、深刻な話や深い悩みもうちあけられるようになってきました。
信頼関係って少しずつ少しずつ築いていくものなんですね。
相手がクリスチャンだから、牧師だから、にこにこしていて、優しい口調で話しかけてくれるから…、
キリスト教会内で有名だから…、
それだけで出会ったばかりの人を全面的に信じるのは危険です。
誰かと知り合って、相手もクリスチャンと知ったとき、たしかにすごく嬉しくなるけど、ちょっと立ち止まって相手を観察してみることも必要だと思います。

 
 ☆ スイトピー コメント
「信頼関係」、「自分の問題と向き合うための相談」については、近いうちに新しく記事を書こうと思っています。
この記事を書いた頃のわたしは、出会った相手がクリスチャンだった時、まだ嬉しいって思っていたんだなぁ、それだけで喜んでいたのかってこの記事を読み返しながら思いました。
今はゆっくり時間をかけて信頼関係を作ることは普通に自然にするようになったし、
ちょっと仲良くなったから、仲良くなりそうになったからと言って、自分の悩みとか、問題とか、個人的なことを色々話そうとは思わないです。
そういうことを話さなければ、相手と信頼関係が作れないってこともないから。

相手がクリスチャンでなくても、人と話すのは好きだし、クリスチャンでなくても誠実で尊敬できる人は何人もいるし、
逆にクリスチャンだから窮屈、苦手って感じる場合もあります。
カルト化教会に所属すると、考え方や価値観が狭くなって、人間関係もカルト化教会メンバーがほとんどで、ほんとに狭い窮屈な中で過ごしていたんだなぁ。
とあらためて思いました。
そしてそこから奪回しても回復までには年数がかかります。
楽で自由な心で、今自分が生きているのが普通で、よくあんな狭い世界にいられたもんだなぁと今は思います。
  



2008年05月29日

よかったことを一つ

旧ブログの記事です。
最後に今のわたしがこれを読み返して考えたことを付け足します。

2008/5/29 19:54
「フラッシュバックの対応」  リハビリ
 この間教会に行ったとき、賛美の雰囲気が脱会したカルト化教会に似ていたことと、
タンバリンの音が引きがねになって、フラッシュバックを起こしたことをリハビリ仲間に話しました。

今までカルトについて勉強し、自分がどのように操作されていたか、どんな精神的虐待、
信仰の虐待を受けてきたのかを整理して、だいぶ理解できるようになって、
カルト化教会のことを思い出して、泣くこともほとんどなくなって、だいぶ快復してきたと
思っていました。
それなのに、タンバリンの音で突然辛くてたまらなくなり、会堂から出たい気持ちになりました。

リハビリ仲間は、「具合が悪いときは礼拝堂から出て、他の部屋で休ませてもらったらいいよ。
辛いのを我慢してそこにいる必要ない。
前もって先生に話してたらいいよ。」とアドバイスしてくれました。

実は、礼拝の前に司会者から「賛美を30分やります」と聞いた時点から、
(これはちょっとやばいかも…。)と気にはなっていたのです。
(30分は長いなぁ…。)
そう思っていたところへ、タンバリンの音と、カルト化教会で歌っていた歌。
上着を手に持ち、握り締めて辛いのをひっしで耐えました。
礼拝中席を立ってはいけないと思っていたから。
でも、辛くなったら他の部屋で休んでもいいし、
賛美のときだけ抜けて、メッセージの始まるときに席に戻ってもいいんですねー。
知らなかった。

アドバイスしてもらって、すごく気がらくになりました。
責めないで理解してもらえて、裁かれないで、ありのままで受け入れられるってすばらしいです。
普段は何でもなくて、快復したように思えていても、教会は引きがねになるものが多いから、
フラッシュバックを経験することもあるのだそうです。
同じような経験をした方のアドバイスにとても助けられました。

今度村上先生に話してみよう。
こういうこと言うのって考えただけですごく緊張します。
しかも牧師に話すってだけですごく緊張する。
「神様に信頼しなさい。」とか、「祈ってないでしょう。」とか、
「もっとみ言葉読みなさい。」とか、「こんなこと言ったら神様悲しむ。」とか…。
カルト化教会ならぜったいそう言われて、
手を置いて祈られるでしょうね。

村上先生は違うと思うけど…。
だって今まで私を責めたり、何かを押し付けたり、
無理にさせたりしなかったし、
「もっと神様に信頼しなさい。」なんて言いませんでした。
先生はいつも落ち着いていて、私の話をきちんと聞いてくれて、
質問にもきちんと答えてくださいます。
だから大丈夫とは思うのですが、話す前はやっぱり緊張します。
そして恐怖感もあるのです。
だって、「しばらくは賛美のときはべつの部屋にいて、メッセージと祝祷だけ受けたいです。」
なんて普通ならぜったい認められないことだから…。
村上先生はなんておっしゃるかな…。
いつになったら、こんな緊張感から解放されるのでしょうか。

でも、これもそのつど、直接話してみて、
先生の対応や反応を見て、答えを聞いたら、
先生の姿勢がもっと見えて、もっと信頼できるようになるのでしょうね。

普段は先生のこと、尊敬しているのに、
大切なことを話そうと思うとなぜ不安になるのでしょうか。

 
  ☆ こういうつらい時期もあったんだなぁと思い出しながら読み返しました。
礼拝出てつらくなるとか、聖書読んでつらくなるとか、気持ちの浮き沈みがあるとか、
その他色々大変だったなぁ、と…。
よくなった、と思って安心しているとまた不安になったり、つらくなったり、
わからないことが出てきたり、混乱したり…。
その繰り返しが何年も続きました。

こういうつらい時期にパスカルさんに
「こういう状態はどれぐらい続きますか?
何年ぐらいでよくなるんでしょうか?」と
質問したことがあります。
「人それぞれですが、だいたいカルト化教会に所属していた年数ぐらいかかることがあります。」
というお話でした。

村上先生に聞いたら、
「時間がかかると思ってください。」とおっしゃいました。

あの頃書いた文章や村上先生とのやり取りのメールを読み返すと、
(わたし、少しずつでもよくなっていたんだなぁ。)と気づくけど、
当時は自分が回復しているなんて思えなかったし、
希望も持てなかったし、苦しいことだけにしか目が向いてなかったなぁ。

今のわたしがあの頃の自分にアドバイスするとしたら、なんて言うかな。
「つらいことが多いけど、つらい気持ちのことが多いけど、
その仲でもよかったこと、気づいたこと、
変われたと感じられたこと、嬉しかったことがなかったでしょうか。
それを見つけて、つらかったことの後に
よかった出来事、思いも書いてみましょう。」と
言うだろうな、きっと…。
悲しい気持ちやつらさは押し殺したり、我慢する必要はないし、
我慢してはいけないけど、つらい、悲しいだけに目を向けて、
そこに沈んでいるだけじゃなく、よい方に気持ちを向けること、
気持ちの切り替えも大切。
それもリハビリの一つなんです。
よいことをたくさん見つけようとすると、負荷がかかってしんどいけど、
一つだけなら考えやすいでしょう。
カルトから脱会して今リハビリ中でつらさの中にいる方、
「1日の中でよかったことを一つ思い出して書いてみる。」を
やってみてください。
  


Posted by スイトピー at 19:59カルト後遺症とリハビリ

2008年05月24日

悪霊

2008/5/24 2:34
「悪霊」  カルト問題
 昨日の礼拝後、村上先生と話をして、色々教えていただきました。
サタンは一人で、偏在ではないことは以前教えてもらって、理解していたけれど、悪霊というのがどういうものかがわからなかったので、質問してみました。
サタンは天使が堕落したもので、悪霊はその子分たちで、悪霊はたくさんいる。
ここまで聞いてちょっと心配になりましたが…。
けれど、クリスチャンは聖霊の宮なので、神様と悪霊が一緒に住むことはできない。
神様と悪霊が一緒の部屋に住むはずないもんね。
「君は泥棒と一緒に住む?」
そう聞かれて、笑ってしまいました。
なるほどねー、神様と悪霊ってそれほどかけ離れた存在なんですよね。

  



2008年05月23日

タンバリンは嫌い

2008/5/23 2:31
「タンバリンは嫌い」  リハビリ
 今日、久しぶりに礼拝に行ってきました。
メッセージもよかったし、教会の人たちとも交わりできて楽しかった。
その教会は、カルト化教会から脱会した人たちが多いから、
自分の状況をちょっと話しても理解してくれる。
すごくらく。
 驚いたのは、礼拝堂にあった長椅子がソファーのようなフワフワのシートだったこと。
(こんな上等ないすに座ってもいいの?)と気になったほどだった。
 メッセージは終末についての話と教会のことよりも家族を大切にしなさいということでした。
カルト化教会では、家族との時間を持つよりも、教会の行事や奉仕を優先していたから、
家族を大切にし、信頼関係を取り戻していくことが大切と言っていました。
そしてカルト化教会では、人間関係が壊れていくことが多いことも話されていました。
教会にいた頃は、仲良くしていたけど、それは権威によって統制されていただけ。
その権威がなくなると、たちまちばらばらになってしまう。
だから家族、友達、教会の人たちとの関係をよいものにしていくには、約束が守られ、不法を行わないこと。
人間は罪があるから、どうしても過ちを犯してしまう。
そのような場合は、たとえ子供に対してでも、親は自分が悪い場合は、謝ることが大切。
そして謝られた方は赦すことが大切だと語られました。
それは他の人間関係でも同じこと。

私はメッセージを聞きながら考えていました。
謝らないのに、悔い改めていないのに、赦しを矯正するのはおかしいです。
被害者に加害者を一方的に赦せというのはおかしい。
でも、被害者も加害者が本当に悔い改めて、自分の罪を認め、
謝罪しているなら、赦すべきなのですね。

 メッセージも礼拝後の交わりもよかったけれど、一つだけとても辛かったことが…。
賛美するとき、タンバリンでリズムとっていて、それが私が脱会した教会の礼拝を思い起こさせるので、とても辛くなりました。
私が脱会した教会でも、礼拝のときタンバリンを使っていて、
私も何度かやったことがあるのです。
それを思い出して辛くなりました。
しかもカルト化教会でよく歌っていた歌が2曲も出てきて、辛くて辛くて、
(ここはあの教会とは違うんだ。もう少ししたらメッセージが聞けるんだから。
せっかくここまで来たんだから…。)と自分に言い聞かせて耐えました。
タンバリンの音であんなに辛くなるなんて自分でも驚き。
日曜礼拝の時間帯も聞いたけど、何だか今日行ったことで疲れ果てたのと、
タンバリンのことを考えると、どうしようかなぁと思う。
最初から無理はしないでのんびりしようっと。
 

☆ スイトピー コメント
ここで「謝られた方は赦すことが必要。」と書いてあるけれど、言葉だけの謝罪だけですむ内容と、
謝罪と償いがセットの場合があります。
それは出来事、被害内容によって違います。

カルト化教会の被害、牧師から信徒へのハラスメントの場合、あるいは経済的な被害や性暴力の場合、謝罪も大切ですが、
言葉だけではなく、償いも大切です。

フラッシュバックについてですが、フラッシュバックの最中やその症状が何度も起きる場合は、フラッシュバックになること自体を怖がったり、
(またフラッシュバックが起きるかもしれない。)と不安になることが多いと思います。
過去と現在の出来事が混同したり、過去と現在起きていることの区別がつかなくてパニックになることがあると思います。
そんなときは、自分一人で何とかしようとしないで、カルト化問題に詳しいカウンセラーからカウンセリングを受けることが回復のためには必要です。
そして自分でできることとしては、カウンセリングを受けながら、気持ちや出来事の整理ができるようになってきたら、
(この出来事と過去のあのことは似ているけど、過去と今は違う。
何が違うだろうか。)と考え、違うことを見つけていくことが役立ちます。

わたしは今はタンバリンの音を聞いてもまったく平気だけど、
にぎやかな賛美は好きではありません。
にぎやかな礼拝や集会も嫌いです。
聖歌や讃美歌が好き。
(2023年12月30日 記)
  


Posted by スイトピー at 02:31