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2021年05月02日

村上先生とのメールのやり取り

前回掲載した記事の出来事について、最近村上先生とメールのやり取りをしました。
それを掲載します。
これを読んでくださっている被害者の方々の気づき、回復にお役に立てばいいなと思います。
カルト化教会に騙されないための予防に役立てば嬉しいです。

 

 (スイトピー)  私は祈祷会の当日と帰った夜は自分の気持ちがありました。
価値観も自分のものでした。
しかし、翌日から徐々に変っていって、土曜日の夜に自分が全面的に悪くて、間違っていると思いました。
悔い改めの祈りの中でそう思ったんです。
それは神様にしめされたと思いました。
私の中で何がどう変ったのでしょうか?
なぜ私は自分の心で頭でちゃんと考えられなくなったのでしょうか?
私の考えが変化したのは、一人で家で祈っている時だったんです。
Bに色々言われていた時ではなくて、その二日後ぐらいです。
なぜ一人の時に変ったんでしょうか?

 (村上先生)  Bがスイトピーさんの殻を壊そうとしても壊れませんでした。
スイトピーさんがBが壊そうとしているのを受け入れたとき、壊れたのです。

  (スイトピー)  それと祈祷会の後に話した時、Bはあんなに厳しく私を責めたのに、私が悔い改めて謝罪をしたら、急に態度を変えて優しくしました。
あれはなぜですか?
 (村上先生)  スイトピーさんが受け入れたのがわかったからです。

 (スイトピー)  Bのいうことを正しいと考えて受け入れた私が悪いのでしょうか?
カルト化教会の話になると、「自分の考えや意思をしっかり持たず、カルト化牧師の言いなりになった、信じた被害者も悪い。」と言う人がいます。
 (村上先生)  命令、取引、誘導、怒り、なだめ、いろいろやられては心は平常人を失います。
だまされた方が悪いのではなく、だます人が悪いのです。
だまされないように心がけることは大切です。
その為には自分だけでは判断しないで、冷静で客観的に物事を見る人の意見を参考にすることです。

 (スイトピー)  命令、怒り、誘導、なだめはわかりますが、「取引」って何でしょうか?
 (村上先生)  取引の件ですが、献金したら幸福になる。
奉仕したら神さまが喜んでくださる。
献金や奉仕を祝福を得る手段として、間違った取引に誘い込んだのです。
神の救いや祝福は取引で与えられるものではないのに、取引に誘い込んだのです。
神の恵みに気づかないと、こんなに献金したのに、こんなに奉仕をしたのに、と思うようにいかないと神さまに訴えることをします。
これは取引を神との関係に持ち込んでいるのです。
恵みなのに、恵みではない道を歩まされるのです。

 (スイトピー)  取引のことですが、私が子供から障害のことで色々言われて、それをBに話したとき、
「神様があなたをこんなに素晴らしく作ってくださったのに、あなたが自分の存在を悲しんでいたら神様悲しむよ。」と言ったこと、これも取引でしょうか?
私は傷つく出来事があったから、それを改善してほしいと言ったのです。
Bはそれを「あなたが自分を受け入れられなくて悲しんでいる」と言いました。
そして私が自分を受け入れられなければ、それは神様を悲しませることで、不信仰と言いました。
こういうのも取引ですか?
 (村上先生)  これは取引というよりすり替えでしょう。

  


Posted by スイトピー at 20:40マインドコントロール

2009年03月09日

奪われていた自由意思

2009/3/15 0:36
「奪われていた自由意志」  聖書の勉強
 教会に行くのがとても楽しみになってきました。
礼拝後の聖書の学びも楽しくなってきました。
カルト化教会にいた頃は、教会に行く事は義務感から行っていた気持ちが大きかったし、
弟子訓練セミナーは、「皆受けるから」、「受けないと祝福がないから」、「先生(虐待的牧師)が受けるようにと言ったから」受けました。

しかし、今は違います。
礼拝の日が待ち遠しい。
聖書の学びが楽しいし、一つでも気づく事、わかる事が嬉しいのです。

教会は(ここが私の居場所かもしれない。)と思えるようになってきたし、何よりも、安心感が得られるようになってきました。
(ここは安心な所。)と少しずつ認識できるようになってきたのか、今日はフラッシュバックは起りませんでした。
引き金になるような言葉を聞かなかった、というのもよかったけど…。
少し過呼吸になって、咳き込み苦しくなったけど、原因がわかりません。
でも、それでもいいや、と思えたほど、今日は落ち着いていました。

今日は、「人間とは…?」という学びでした。
人間は神様が創造されました。
神様の性質を表す者として、交わりを持つ存在として作られました。
また、自由意志を持つ存在として作られました。
そして、永遠を思う者として作られました。

しかし、アダムとエバが善悪の木の実を食べたために、人間に罪が入り、人間関係の中に、憎しみと争いが起きるようになりました。
また、人間の自由が罪を行う事に使われていきました。
そのような人間を神は救おうとして、イエス様をこの地上に送ってくださり、十字架につけてくださったのです。

今日の学びで私がとくに心引かれたのは、「自由意志が与えられていた」という話でした。
人間には最初から自由意志が与えられていたのです。
自分で考え、判断し、決める自由。
それを奪っていたのがカルト化教会の教えとマインドコントロールでした。
虐待的牧師は信徒をマインドコントロールして、神様が元々くださっていた「自由意志」を奪っていたのです。

今日学んだ事で、自分の事を当てはめて考えてみました。
私も神の形(性質)を持ったもの、すなわち人との交わりの喜びに生きる者として作られた事。
また、自由意志を持った存在として作られた事。
そして、永遠を思い、永遠の存在(神様)を思う心が与えられている事。
しかし、私にも罪がある事。

だけど、主はそのような私をまるごと愛してくれているのかも…。
だから、イエス様を十字架につけて、蘇らせてくださったのかも…。
ここまでは考える事ができました。
次回は、「救い」についての学びです。
楽しみ!

  



2009年03月04日

情報コントロール

2009/3/4 21:28
「情報コントロール」  信仰の虐待とマインドコントロール
 情報コントロールとは、カルト化教会、または、カルト団体や虐待的牧師、リーダーに対しての批判的情報、カルト化教会で教えられている事と違う聖書の解釈などをシャットアウトして、信徒たちが受ける情報をコントロールする事です。
私が所属していたカルト化教会では、一人で聖書を勉強する事は危険だと教えられていました。
註解書も信仰書も読むのを止められていました。
三浦綾子さん、星野とみひろさんの本はいいと言われたけど…。

「信仰書を読みたいんですが、何がいいですか?」と虐待的牧師に質問した事がありました。
そうしたら、「三浦綾子さんや星野とみひろさんの本はいいけど…。
自分一人で聖書を読んだり、註解書を読んで学ぶのはよくないから、それよりもきちんと聖研と祈祷会に出なさい。
教会で学んでいたら、わかるようになってきます。」と言われました。

それまでは、信仰書を色々探して、わりと読んでいたんだけど、虐待的牧師から、「信仰書を読むより、聖研にきちんと出なさい。」と言われたので、
それからは信仰書を借りなくなりました。
だから、脱会していざ本を探そうとしても、何を読んだらいいか選べなくて困っています。
信仰書以外の本はすぐに見つけられるけど、信仰書選びは難しいです。

「マインドコントロールの恐怖」(スティーヴン・ハッサン 著 浅見定雄 訳)にこのような説明があります。
「情報コントロールはまた、あらゆる人間関係にわたって広がっている。
リーダーや教義や組織に批判的な事は、お互い同士いっさい話す事は赦されない。
メンバーはお互いを監視して、不適当な言動はリーダーに報告しなければならない。

新しい信者は、先輩のメンバーが付き添い役にいないところで、お互いに会話を交わす事は赦されない。
一番重要なのは、元メンバーや批判者との接触を避けるようにと言われている事である。
情報を一番たくさん提供できるような人々こそ、とりわけ避けなければならない人なのだ。」

「メンバーが互いに監視をして、不適切な言動があればリーダー(虐待的牧師)に報告」というのは、カルト化教会でもありました。
そして、教会内での人間関係についての悩みなどは、信徒同士で話をしないで、役員か虐待的牧師に言うようにと言われていました。

虐待的牧師が不在の期間が長く続いた事があって、(3週ぐらい続けて日曜にもいませんでした)、その時、教会内の事での悩みを協力牧師夫妻に相談した事がありました。
その事を後で虐待的牧師に話したら、「XX先生はこの教会の牧師ではないでしょう。
これからはこういう事は私に話すように。」と言われました。

協力牧師夫妻は度々カルト化教会に来ていたので、信徒の事も教会の事も色々知っています。
それに虐待的牧師に助言し、教える立場の人と思ったから、話してもいいかな、と思ったんだけど…。
カルト化教会では、そういうのもだめなんですよねー。

虐待的牧師はすごく多忙で、教会にいる事が本当に少なく、礼拝、祈祷会、聖権以外は、教会にいる事の方が珍しいぐらいでした。
しかも虐待的牧師の家とか、携帯に電話する場合は、まず教会に電話して、スタッフに確認してからでないと、電話はできませんでした。
電話を取り次いでもらえる事も本当に少なかったです。

だから、虐待的牧師に相談するなんてできない事が多かったし、相談しても、「もっと祈りなさい。」、「何でこんな風に考えるの?」などと言われる事が多かったので、
結局解決には結びつきませんでした。

今は、信仰書も一般の本も、ネットからも情報を得る事ができます。
村上先生、パスカルさん、今の教会の先生、リハビリ仲間たち、正統派教会の数人の友達が励まし、支えてくれます。
そして、自分で調べて、考え、決断する事ができます。

こうして、行動コントロール、思想コントロール、感情コントロール、情報コントロールと、
マインドコントロールの要素を考えてくると、いかに自分があの頃、操作され、制限されてきたかがよくわかります。

  



2009年03月03日

感情コントロール

2009/3/3 0:06
「感情コントロール」  信仰の虐待とマインドコントロール
 感情コントロールでは、罪責感と恐怖感が利用されます。
「マインドコントロールの恐怖」(スティーヴン・ハッサン 著 浅見定雄 訳)には、次のように説明があります。
「しかしカルトの大部分のメンバーには、自分たちをコントロールするのに、罪責感と恐怖感が使われているのだとはわからない。
彼らはいつも自己自身を責めるよう条件付けられているので、リーダーが彼らの『欠点』を指摘しても、感謝の気持ちで反応してしまう。」

私も虐待的牧師から、よく「あなたは考え方が世的だ。」と責められていました。
ある時は、教会の玄関で呼び止められて、いきなりそう言われた事もありました。
この「世的」の意味については、調べてから、本当の解釈を交えて、近いうちにブログに書いてみたいと考えています。

感情コントロールで思い出すのは、私が落ち込んでいた時の出来事です。
その頃は、ちょうどクリスマスの時期でした。
私は、とても落ち込んでいて、数週間礼拝に行けませんでした。
クリスマス礼拝の前には、教会員、虐待的牧師の秘書からも電話があり、クリスマス礼拝と祝会に出席するようにと言われました。

しかし、私は気持ちの落ち込みと、体調不良で欠席しました。
今思うと、その頃からカルト化教会のやり方、虐待的牧師に対して、疑問と疑いが出てきていたのだと思います。

クリスマス礼拝の数日後、虐待的牧師から電話がありました。
そして、「悲しくなるのは、教会に来ないからです。」と言われたのです。
私が悲しかったのは、落ち込んでいたのは、辛い出来事があったからであって、教会に来ないから、その気持ちが増したのだとは思えませんでした。
しかし、虐待的牧師に「違います」という事はできないので、黙っていました。
そして、次の日曜は、礼拝に行きました。

礼拝といえば、こんな事もありました。
カルト化教会では、信徒が他教会の礼拝に行く事は、よくない事とされていました。
私は、実家に帰った時、実家の近くの友達が行っている教会に行っていたのですが、それもよくない事と言われました。

私はカルト化教会所属時代、実家に帰る事があまりできませんでした。
それは、日曜礼拝出席が強制されていたからです。
他教会で礼拝を守る事もだめだと言われたので、実家に中々帰れなくて、親との関係もギクシャクしていました。

「私たちは霊の家族なんですよ。
霊の家族が集まって、神を礼拝する事が大切で、その家族の誰かが他の家に行っていたら、皆さびしい思いをするでしょう。」
これが他教会の礼拝出席を禁止する言葉でした。

ようするに、「皆がさびしがるから」と言って、私に、(皆にさびしい思いをさせて、申し訳ないな。)と罪責感を与え、それで、コントロールしようとしていたという事。
その時、そう教えたのは、役員だった人で、虐待的牧師のイエスマンの人です。

だけど、私にそんな事を言っていた1年後、虐待的牧師に疑問を持ち、間違っていると判断した信徒たちが次々と脱会して行きました。
その時、虐待的牧師をぜったいに正しいと信じ込んでいる人たち、虐待的牧師の過ちを知りながら、庇っていた人は、
ある人たちに手をかざして、サタン追い出しの祈りをしました。

「他教会で礼拝したら、皆さびしがるでしょう。霊の家族だから。」と私に教えた人が、
昨日まで兄弟姉妹と言っていた人たちに対して、サタン追い出しの祈りをしたのです。
そして、教会内で無視をしたり、本当に酷い事をしていました。
これって矛盾していると思うんですけど…。
他教会の礼拝に行かせたくないぐらい、メンバーが大切なのだったら、
なぜ兄弟姉妹を「サタン」と言って祈ったり、いづらい状況を作ったり、一方的に責めたりしたのでしょう。

  


2009年03月02日

思想コントロール

2009/3/2 0:30
「思想コントロール」  信仰の虐待とマインドコントロール
 思想コントロールは、徹底的な教え込みをします。教えられた内容に対して、疑問を挟み込まないようにします。
マインドコントロールとは何か http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/1MCnaani.html で、
「ある団体では、聖書と別の教理の本と、両方を使いますが、実際には教理本を読んだり、そこで引用されている聖書の箇所を開くだけで、自分で自由に聖書を読む時間などは、とてもありません。」と説明されています。

これを読んだ時、「あれ?」と思いました。
カルト化教会で受けた弟子訓練セミナーの事を思い出したからです。
弟子訓練セミナーの時は、テキストを使ってやったのですが、聖書の引用箇所がたくさん書いてあって、それを開くだけで大変でした。

弟子訓練は、そのテキストに沿って講義されました。
テキストに書いてある聖書箇所をドンドン開いていくので、聖書を読んだ、み言葉を読んだ気になっていたけど、あれは部分的に抜き取って、たくさん使っていただけで前後関係を重要視したのではなかったと思います。
今の教会の礼拝の説教も、村上先生の説教でも、聖書の前後関係、全体的な流れをとても大切にしています。

カルト化教会では、虐待的牧師の聖書の教えに疑問を持つ事、「違うと思います」という事は赦されませんでした。
というか、そんな事、誰も考えもせず、(先生の言う事、教える事は、ぜったいに正しい。)と信じ込んでいました。

今の教会の先生は、説教に対して、信徒が疑問を持ったら、丁寧に説明してくれるし、意見を聞かせてほしいとおっしゃいます。
私はその事を聞いた時、とても驚きました。
もちろん、信仰書も、註解書も読んでいいと言われました。
普通の教会ってすごいなあと思います。

 「マインドコントロールの恐怖」(スティーヴン・ハッサン 著 浅見定雄 訳」には、このような説明が載っています。
「もしカルトのメンバーに伝わった情報が、リーダーや教義やグループに対する攻撃だと見なされると、敵意の壁がそそり立つ。
メンバーは、いかなる批判も信じないように、訓練されている。
批判的な言葉は、「我々についてサタンが人々の心に入れた嘘だ」とか、
「世界謀略組織が、その招待を我々に見破られていると知っているので、我々の信用を落とすために新聞などへ流している嘘なのだ。」という風に、前もって説明されてしまっている。
逆説的だが、グループへの批判こそ、そのカルトの世界観が正しい事を裏付けるのである。」

カルト化教会が分裂した時、私は強力牧師から、何があったのか教えてもらいました。
最初は私もその話を信じていたので、教会や虐待的牧師に疑問を持っている人、忠告した人の教会での様子も強力牧師に話をしていました。
その時、「その人たちが悪魔の手下にならないように祈りましょう。」と言われ、
(先生の言っている事、している事に疑問を持ったり、反対したら『悪魔の手下』なんだ。
教会の働きやビジョンを妨げようとしているから、これもサタンの仕業に違いない。)と思い、とても怖くなったのを覚えています。

その頃、礼拝や祈祷会の祈りは、「先生を守ってください。」という祈りばかりでした。
そして、反発したり、疑問を持ったり、忠告した人に対しては、手をかざして、サタン追い出しの祈りをしていました。
このような事から、「牧師に忠告したり、過ちを指摘するのは、サタンだ!悪霊の手下だ!」という思考ができていったのだと思います。

 
 ☆ スイトピー コメント(2024年3月24日)
この記事に書いてあることはわたし個人の経験と考えです。
カルト化教会脱会者、あるいは正統的とされている教会で虐待に遭った方で今このブログを読んでいらっしゃる方は、自分で本を読み、専門家に相談して、
自分でリハビリについて考えて取り組んでください。
同じような経験をした人の記事は、(こんな経験をしたのはわたし一人だけではないんだ。)ということを教えてくれますが、
心の傷や後遺症からの回復には、専門家に相談し、問題に取り組み、カウンセリングを受けることが必要です。
ぜひそのように取り組んでいただきたいと思います。
  


2009年02月24日

カルト化教会が作り出した悪魔

2009/2/24 23:56
「カルト化教会が作り出した悪魔」  信仰の虐待とマインドコントロール
 「マインドコントロールの恐怖」(スティーブン・ハッサン/著 浅見定雄/訳 恒友出版)を読んでいます。
以前この本を読んだのは、カルト化教会を脱会して、すぐグライの頃だったので、ほとんど意味がわからなくて、挫折してしまっていました。
今読み返すと、とても理解できるようになっていて、自分でも驚いています。
これもリハビリの成果かな。

少しずつ時間をかけて読んでいるので、読むスピードが遅くて、少し焦ってしまいます。
それで、ちょっとだけ先の目次を見てみたら、「恐れと罪責感による操作」という項目があったので、読んでみました。

カルトでは問題が生じれば、それはメンバーの落ち度、信仰の弱さ、理解不足、悪い先祖、悪霊のせいとされているとありました。
他には何かあるかを考えてみました。
その他には、「祈りが足りない」、「み言葉を読んでいないから」、「考えが世的だから」などと責められていました。

悪霊の影響と言われれば恐怖感にかられて悪霊追い出しをするし、「信仰が足りない」、「祈りが足りない」と言われれば罪責感を持つ。
カルト化教会にいた頃は、こんなことばかりでこれでは平安な気持ちで過ごせなかったのも、無理ないと思います。

同じ項目の箇所に、悪霊についても書かれてありました。引用します。
「私が出会ったどの破壊的カルトでも、恐れが大きな動機付けとなっている。
どのグループにもそれぞれの悪魔がいて、メンバーを誘惑し、堕落させようと待ち伏せている。
グループが呼び出す悪魔がいきいきしていて、現実的であればあるほど、それが作り出す結合力も強烈になる。」(スティーブン・ハッサン/著 浅見定雄/訳 恒友出版)

これお読んで思わず笑ってしまいました。
「どのグループにもそれぞれの悪魔がいて」っておもしろい表現だし、カルト化教会の悪霊追い出し、霊的戦いを言い当てているなあって思って、おかしくなりました。
そう、カルト化教会が追い出そうとしているのは、本物のサタンや悪霊ではなくて、「カルト化教会が、カルト化教会の虐待的牧師が、勝手に作り出した悪霊」なんですよねー。

信徒を操作するために作り出した悪魔がいきいきするように、「病の霊」、「不信仰の霊」、「恐れをいだかせる霊」、
「神様を否定する霊」などと、言って、悪霊追い出しをしていたんですね。

いくつ者カルト化教会が悪霊追い出しをしています。
それらの悪霊はそのグループが作り出した悪霊たち。
想像すると、何だかこっけいでおかしいです。
カルト化教会にいる悪霊は怖くないです。