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2023年07月24日

わたしはマインドコントロールされていたんだ

村上先生のカウンセリングを受けたり、同じカルト化教会脱会者、他のカルト化教会脱会者と話をしたり、マインドコントロールについての本を読むうちに、
自分が脱会した教会で、マインドコントロールが行われていたことがわかってきました。
また、正しい聖書解釈とは違う誤ったことが教えられていたことにも気づき始めました。


マインドコントロールについてですが、たとえば情報操作。
「一人で聖書を読んでいたら、誤った解釈の仕方をしてしまうから、聖研やセミナーに出て、学びなさい。」
「信仰書を読んだりするよりも、きちんと聖研に出ている方が深い学びができるのです。」
「新聞を読むよりも、聖書を読んだ方がいいですよ。」
「信仰書は、三浦綾子さんの本か、星野とみひろさんの本ならいいでしょう。
それ以外は勧められるものがあまりないですね。
それよりも、もっと聖書読みなさい。」
このような言葉で、信仰書や新聞を読むことを躊躇させたのです。
「信仰書を読むより聖書を読みなさい。」
これは一見、正しいように聞こえますが、情報を制限されることで、
信徒は教会で牧師に教えられた解釈以外のことを学ぶ機会が奪われるので、
聖書の言葉を使って虐待的牧師は、信徒をマインドコントロールしやすくなるのです。
 

また、私が行っていたカルト化教会では、他の教会から人が来るのは大歓迎でしたが、
自分たちの教会の信徒が他の教会に、とくに礼拝に行くのは厳しく注意されました。
「教会の兄弟姉妹は、みんなあなたと一緒に神様を礼拝したいと思っているんですよ。
自分たちの家族が他の家に行ってしまうのはさびしいでしょう?
教会は神様が与えてくれた家族なんですよ。」
そのようなことを言われて、わたしも叱責されたことがありました。
ふと疑問に思っても、質問も反論もできず、ただ従うしかありませんでした。
それは、今思うと、正統派教会との違いに気づくことをさせないための、マインドコントロール、情報操作でした。
そして、「あなたが日曜に他教会で礼拝を守ると皆がさびしくなる」というのは、わたしを思っての言葉ではなくて、
(ああ、皆にさびしい思いをさせてしまって悪かったな。)と
思わせるための、「感情コントロール」だったのです。
 

わたしが幼稚園の頃のいじめのトラウマがあって、「子供が恐い」と打ち明けたときも、
虐待的牧師は、「それは神様からじゃないね。」と言いました。
(神様からではないって、じゃあ、悪魔からってこと?)と思い、恐怖を感じたことを今も覚えています。
カルト化教会では、そのようにして、恐怖心を利用するのです。
 

ある礼拝メッセージの中で虐待的牧師は、「わたしたち、本当のクリスチャンは…」と言いました。
たしか、「日本には1%のクリスチャンがいるけれど、その中で本当に神を礼拝し、従っているクリスチャンがどれほどいるか」という話だったと思います。
自分たちを「本当の」と言うことで、「本当の」という言葉を使うことで、
教会メンバーに(わたしたちは、他教会の人たちより優れているんだ!)というエリート意識を植え付け、
ますます頑張って奉仕をしたり、虐待的牧師に依存させるための、マインドコントロールだったのです。
 

自分が6年半も通った所を、イエス様の愛があり、聖書に基づいた福音が語られ、自由に幸せになれる場所と信じていたのに、
蓋を開けてみると、愛がなく、牧師が信徒に「信仰の虐待」を行っており、
み言葉を乱用しており、サタン追い出し、悪霊追い出しをして、神対悪魔の2元論に陥らせ、
多くの奉仕と虐待的牧師への依存と服従をさせたことで、信徒の心と時間を、自由を奪ったのです。
 

わたしは脱会した教会で、虐待的牧師から信仰の虐待を受けていた。
マインドコントロールされていた。
そのことに気づくことは、それまで信じてきただけに、ショックであり、悔しい思いになり、悲しくなりました。
しかし、その反面、一つ一つのことを検証し、話し合うことで、不透明だった部分が明らかになり、霧が晴れていくような気持ちにもなりました。

  


Posted by スイトピー at 00:01過去のカルト化教会の体験と脱会

2023年07月23日

驚きと感動

村上先生と初めて会ったのは、ファミリーレストランでした。
カルト化教会被害者の集まりがあって、そこに来ることを勧められたのですが、いきなり大勢の知らない人の中に行くのも気後れするし、
遠いこともあって、先生の予定に合わせてわたしが行けそうな場所で待ち合わせをしたのでした。

2時間ぐらいお話をしました。
相談内容はここでは触れませんが、初めて会ったその日、そして村上先生と会うたび、
そしてその後カルト化教会被害者の集りに参加するようになってからも、驚くことが続くのです。

初めて会った日、まず驚いたのは、「先生、ここまでタクシーでいらっしゃったんですか?」と聞いた私に、
「バスで来たんだよ。」とおっしゃったこと。
 牧師先生が旅行先で移動する時って誰かが車で送るか、タクシー、レンタカーを使うものと思い込んでいたので、とても驚きました。
バスってレンタカーやタクシーに比べたら料金は安いけど、坐りごこちはよくないだろうし、バス停で待ってるのも暑いし大変なのになぁと思いました。

次に驚いたのは、話の途中で村上先生が、
「ドリンクバーで何かとって来ましょうか?」と言ってくださったこと。
ラブシャワーの時期なら牧師や教会員の人たちが誰かに愛を注ぐ、何かしてあげる、せわをやくってことはあるけれど…。
けれど、そうではない時に牧師が信徒のために動くなんて考えられないことです。

カルト化教会では、いつもスタッフや信徒が忙しくしているのが普通でした。
イベントや愛餐会の時も、虐待的牧師が何かしていると、スタッフや役員、信徒が
「先生、いいですから座っていてください。私がしますから。」と言ってすぐにその仕事をしていました。
牧師はカウンセリングをしたり、メッセージを語るのが主な仕事で、それ以外の雑用や洗い物なんて、信徒の仕事だと思っていました。

だから本当はコーヒーかオレンジジュースがほしかったけど、牧師先生に飲み物をとってきてもらうなんて申し訳なくて、
「ありがとうございます。大丈夫です。今はいいです。」と言って我慢しました。

その日の飲み物は先生がおごってくださいました。
それもとても申し訳なくて恐縮したのを覚えています。
(先生はそうおっしゃってるけど、おごってもらったら失礼だから、ここはお金をわたすべきかもしれない。)
(いや、先生がいいと言ってくださるんだから、それに従った方がいいかも…。)
わたしは葛藤しました。

さらに、席を立つ少し前から、とても困っていて、迷っていることがありました。
わたしは村上先生との話の後、バスでべつの所へ行くことにしていました。
お店からバス停は近いとは知っていましたが、場所がよくわかりません。
店員さんに聞くべきか、村上先生にお願いしてもいいのかすごく迷いました。

それは、カルト化教会時代、兄弟姉妹に送迎してもらっていたことがあって、そのことで虐待的牧師から責められたことがあったからです。
わたしの他にも送迎している人たちがいたので、送迎チームを作って週ごとに当番せいにしてはどうかという案が教会員の一人から総会の時に出ました。
「特定の人だけで担うのは大変だから…」と。
そうしたら、総会後私は虐待的牧師に呼び止められて責められました。
電話でも1時間近く話があり、私はその時悔い改めの祈りまでしたのです。
(送迎の件ではわたしは何も発言してないし、お願いもしてないのに責められるなんておかしな話です。
意見言ってくれた人も間違ったことは言ってないのに…。)

そのことですごく傷ついていたので、人に何かを頼むなんて怖くてしたくありませんでした。
牧師先生に頼むなんてよけいできないし、してはいけないのではと思いました。

でも、店員さんがどこにいるかもわからないし、近くに頼めそうな人もいないし、村上先生に頼むしかないなと感じて、思い切ってお願いしてみました。
すると、「いいよ。」と言って気軽に誘導してくださったのです。
そして私のバスが来るまで一緒に待っていてくださいました。
夏の暑い日なのに…。
 

 その2ヵ月後、わたしは初めてカルト化教会被害者の集りに行きました。
会の後、皆でマクドナルドへ行きました。
村上先生も一緒でした。
その日、わたしは先生とはあまりお話できなかったけど、向かいで誰かとお話している村上先生を見ながら、感動していました。
だってカルト化教会では、牧師と信徒たちが一緒にマックに行くなんてまったくなかったし、
先生も本当に落ち着いた普通の雰囲気でお話されているのです。

カルト化教会だとファミレスやファーストフードに、牧師と一緒に入るなんてありません。
とくに他県から来てくださっている先生と一緒の時はレストランでランチ、食堂の定食などだったから、とても驚きました。

2度目に会った日、わたしは村上先生に、「牧師って教会で何をする人ですか?」と質問しました。
それは普通の教会のことがほとんど何もわからなかったからです。
先生は、「牧師と信徒は台頭なんだよ。
役割が違うだけで、神様の前には平等なんだよ。
牧師は仕えられる人ではなくて、仕える人なんだよ。
牧師は特別ではなく、普通の人。」と教えてくださいました。
でも、その時はまだ納得できなかったのです。
牧師はみ言葉を語ることが大きな役目で、それがあるから他のことは役員や信徒がするものだと思っていました。
雑用とか掃除なんて牧師はしないと思っていました。
それどころか、その頃までわたしは「牧師は神様に選ばれた特別な人。
神様の次に偉い人。
信徒とは別格。」と思っていました。

しかし、村上先生を見ていると、牧師も普通の人なんだってことが少しずつわかってきたのでした。
いいえ、普通以上にすすんで人々に、信徒に仕えているのでした。

聖書で牧師に対しては、「群れの見本となりなさい」って書かれているけど、
「仕える」ってこういうことなんだって知って感動しました。

  


Posted by スイトピー at 05:15過去のカルト化教会の体験と脱会

2023年07月23日

理解者との出会い

そのように理解者が得られず、自分でもどうしたらいいのかわからない苦しみの中で、ただ一人わたしの話を聞いてくれたクリスチャンの友達がいました。
彼女はあるとき、「これは最近よく聞く教会のカルト化じゃないの?
カルトを扱っている専門家に相談した方がいいと思うよ。
何かするにしても、あなたが元気になる方が先だから。」と勧めてくれたのです。

「カルト化教会」「教会のカルト化」で検索すると、いくつかのホームページやブログがありました。
何人かの牧師やクリスチャンがこの問題を取り上げてくださっていました。
何度も何度もそれらのホームページを見て、誰に相談するか考えました。
そして村上密先生にメールしてみようと思いました。

村上先生のブログにカルト化教会の問題が多くとりあげられていること。
「ハーベストタイム」のホームページにも村上先生の名前と証があること。
それで村上先生にメールをしてみることにしたのでした。

でも、以前この問題で牧師に話したときも、一般的な教会のトラブルと思われたり、
うやむやな対応をされていたので、その時はかなり心配でした。
それに「専門家」と言うと、とっても偉そうな人というイメージがあるし、
カルトからの救出活動をしていて、カルト化教会の問題では裁判も手がけているなんて、すごく厳しくて怖そうなイメージもありました。
だからすぐに電話をかけれずに、メールにしたのでした。
その頃の私には、メールにするか電話にするか決めるだけでもとても時間がかかり、色々悩みました。

メールを書き始めても中々思うように文章が進みません。
3回ぐらい書き直して送信しました。
書きあげるまでとても時間がかかりました。

教会の問題で辛く苦しいということ。
カルト化教会ではないかと思ってチェックリストを使用したこと。
脱会者と会って話をしたこと。
今、どうしたらいいのかわからず困っていることなどを書きました。

メールを送信してから返事が気になって、しょっちゅうメールチェックをしていました。
(こんなに親身に活動されている先生だから、きっと私の苦しみもわかってくださるに違いない。)
(忙しい方だろうから、私のような者の話は聞いてくださらないかもしれない。)
(返事くださるかな…。)
様々な思いがうかびました。

翌日、仕事から帰ると、村上先生からのメールが届いていました。
ドキドキしながらメールを開くと、そこには慰めと励ましの言葉が続いていました。
初めに「よく相談してくれましたね。」と書いてあり、私が相談するまでにどれほど葛藤し、迷い、悩んだのか、それも知ってくれているように感じられました。

「スイトピーさんは序々に回復の道を歩みはじめています。」
と励ましの言葉、前向きな言葉、わたしを肯定してくれる言葉がありました。
今まで虐待的牧師からは表面的には「愛しています。」とか、「あなたのことが大切だから…」などと言われていましたが、
実際は信仰の虐待を受け、否定され、見下げられていました。
だから、牧師からこのような肯定的な評価を受けたことにとても驚き、嬉しく思いました。
カルト化教会で傷つき、なぜこんなに苦しいのか、どうしたらいいのかもわからないどんぞこの暗闇でもがいているようなわたしさへも認めてくれるんだと感動しました。

すぐに村上先生に電話をし、2時間ほどお話をしました。
村上先生は月に1度わたしの住む県に他のカルト化教会問題で来ておられるということで、
次回先生がいらっしゃる時会ってお話しすることになりました。


☆ この記事を書いたのはカルト化教会から奪回して1年ちょっと経った頃だったと思います。
今読み返すと、(あー、この頃のわたしはまだ牧師との人間関係を上下関係で考えていたんだなぁ。)とか
(認められるには元気で悩みがなくて、前向きでないといけない。)って意識がまだまだ強かったんだなぁと気がつきました。
  


Posted by スイトピー at 00:10過去のカルト化教会の体験と脱会

2023年07月22日

続く悲しみ

わたしは、教会のカルト化に気づいたといっても、チェックリストをしただけでマインドコントロールについての詳しいことやリハビリについては何一つ知りませんでした。
とても辛い苦しい経験をしたけれど、時がたてば癒されていくと考えていたのです。
しかし、2ヶ月3ヶ月と時が過ぎても心は落ち着きません。
気持ちの整理ができないのです。

そこで数人のクリスチャンや他教会の牧師に相談してみました。
しかし、このことを他の教会の先生やクリスチャンの先輩に話しても理解してもらうことはできないと感じました。
「こんなことはどこの教会でもあることだ。」
「誤解や意見の違いがあっても、話し合って解決できるはずだ。」
「牧会ってすごく大変だからね。」
などとどこにでもある問題として片付けられることが多かったのです。
だからわたしは(自分たちが大げさなだけなのだろうか?そこまで深い問題ではないのだろうか?どこにでもあることなのだろうか?)と考えるのですが、やっぱりおかしいと思うのです。

そこで、その頃行っていた教会の牧師に話をしました。
その牧師は私たちの教会の問題をある程度知っていたからです。
だからきちんと聞いてくれて、対処してくれるだろうと思っていました。

先に記事に書いたことですが、「信仰があったら…」と「失望と悲しみと不安」の項で書いたことを、その牧師に話しました。
「それは信仰の虐待ですね。」とその牧師は言いました。
わたしは(ああ、やっとわかってくれる人がいた!)と嬉しくなりました。

しかし、喜ぶのは早すぎました。
話が進むにつれて、納得できないことが増えていったのです。
牧師は「聖書をちゃんと読んでいたら、教会の間違いに気づくんですよ。」と言いました。
その時、わたしは
「あなたが聖書を知らないからあんな教会にいつづけ今まで気づくことができなかったんですよ。」
と責められているように感じました。

イザヤ書43章から神様の愛について語ってくれたのですが、その最後に
「神様があなたのことを愛しているのだから、それを信じて、神様の愛の中で強くなりなさい。
牧師に何を言われても気にしてはいけない。」と言われたのです。
まるで
「神様の愛を知っているはずなのに、傷ついたあなたが悪い。
もっと強くなりなさい!」と言われたように感じました。
わたしの話を聞いて、「それは信仰の虐待だね。」と言ったのにです。

児童虐待でも、DV(夫婦間、恋人間の虐待)、高齢者虐待でもそうですが、
虐待を受け続けた人がそんなに簡単に立ち直れるでしょうか?
虐待を受けた被害者に、「気にするな。」なんて言う人がいたらおかしいでしょう。
酷いと思うでしょう。
それと同じだと思います。
わたしはもう2度とこの牧師には相談すまいと思いました。

カルト化教会被害者は、わたしと似たような経験をしている人たちが多いのです。
教会での出来事や虐待的牧師からの被害を訴えても、
「あなたの教会はカルト化していません。」
「それぞれに信仰が違うからね。」
「イエス様があなたを赦してくださったようにあなたも赦しなさい。」
と言われることが多いのです。

被害者はマインドコントロールの後遺症と精神的虐待、
あるいは経済的被害、時にはセクハラ、性虐待の苦しみだけではなくて、
救いを求めて話をした牧師やクリスチャンから2次被害を受けることもあるのです。

  


Posted by スイトピー at 23:00過去のカルト化教会の体験と脱会

2023年07月22日

カルト化教会だったんだ…

わたしは教会脱会直後、先に出ていた人たち、ほぼ同じ頃に脱会した人たちと会い、話を聞きました。
もちろん脱会者それぞれが言いたくないこともあるし、守秘義務もあるので、
個人の詳しい事情やトラブルの細かいことは聞いていません。

ただ、カルト化教会牧師に守秘義務違反があったこと、
スタッフたち、一部の役員に対して酷い扱いがあったこと、
信徒に対しても精神的虐待や信仰の虐待があったこと、情報操作が行われていたことを知りました。

虐待的牧師につまづいた人、虐待的牧師のことで悩み、教会に来れなくなった人をずっとほったらかして、
口先では「祈っています。」とか、「愛しています。」などと言っていたこと。

それを忠告した人たち、忠告した人たちに同意している人たちを追い出し、傷つけ、自分たちこそが被害者なのだという態度をとって、
被害を与え迷惑をかけ、傷つけた人たちに対して、いっさい謝罪がないことを聞きました。

信徒のカウンセリングをし、悩みを聞き、それを簡単に他のスタッフや信徒に話してしまうということが虐待的牧師にはあったようです。
わたしも教会員だったとき、それで酷い目に会いました。

その教会は虐待的牧師を中心にして、虐待的牧師が崇められている教会だったとわたしは脱会して気づいたのです。
イエス様が中心である教会ではなかったんだと…。

脱会後、インターネットで「キリスト教会、 問題」などで検索し、自分と似たような経験をしている人がいないか、
聖書的に、クリスチャンとしてこの問題をどのように考えたらよいか調べてみました。
最初は自分の行っていた教会がカルト化しているなんて思いもせず、調べ始めたのでした。
「特集カルト化問題、教会で起きるマインドコントロール「やハーベストタイムのホームページでとりあげられている教会のカルト化問題を読んで、
(もしかしたら…。)と思いを強くしました。

ネットに載っているチェックリストをすると、
牧師への批判は神への反逆とみなされる、
情報コントロールが行われている。
教会を去った者に汚名を着せる。
立法主義的になっている。
自分の考えを正当化するような説教になっている。
などなど色々出てきて、それに当てはまる項目が多いのです。
それにこのホームページで述べられていた「ラブシャワー」も行っていたので、
そこで初めて(もしかしてあの教会はカルト化教会だったのでは…。)と気づいたのでした。

  


Posted by スイトピー at 22:19過去のカルト化教会の体験と脱会

2023年07月21日

迷いと祈りと奪回の決心

礼拝の様子、教会の雰囲気を見て、脱会することに気持ちは傾きながらも、迷う気持ちもありました。
もっと大きな教会堂を立てることを皆で話し合ってきたし、私はそこをバリアフリーの教会にすること、
建物だけではなくて中身(心)もバリアフリーの教会にしたいというビジョンを持っていました。
教会を脱会するということは、そのビジョンを投げ捨ててしまうことになると思ったのです。

 それに尊敬していた協力牧師夫妻のことも気がかりでした。
先生たちと離れるのが辛いと思いました。
協力牧師夫妻はカルト化教会牧師のことを信じていたし、
牧師のしていることに忠告し、悔い改めるよう迫った役員や信徒が「間違っている。
あの人たちは本当に悔い改めないといけない」と言っていました。
だから教会を出るということは、イコール先生たちとの交流も絶たれるということを意味しました。

 それは寂しかったけれど、祈る中で本当に正しいことは何なのか考えられるようになってきました。
やみくもに牧師を庇い、間違っていることをしていてもそれを隠し、庇い、隠蔽工作をする。
訴えている人たちの立場に立つということをせず、一方的に責め、問題の本質を見ようとしない。
そういうことにうすうす気づき始めました。

虐待的牧師の行為を正そうとしている人たち、信仰の虐待を受けていた人からの話でそれが真実ということがわかりました。
信仰の虐待、精神的虐待、いじめは虐待的牧師からだけではなくて、一人の役員からもあったのです。
その人のしていることは、他にも問題がありました。

協力牧師やそれを知っている一部の人たちは、真実を隠し、
話を作り替え、虐待的牧師を養護し、
忠告した人や訴えた人を追い出しました。

私はそれらの話を聞き、礼拝の時協力牧師が、
「これから脱会する人が増えるかもしれませんが、皆さんは動揺せず、先生を守っていってくださいね。」
と言った時、それまで「脱会すべきかどうか。脱会するならいつがいいのか。」祈っていた答えが与えられたと思いました。

私は協力牧師夫妻に少し期待していました。
教会内部で騒ぎがあった後から1ヶ月たって教会員が減っていること、
主要なメンバーがほとんどいないこと、昔からいたメンバーがほとんどいなくなったことを見れば問題の深刻さがわかってもらえるだろう。
教会の雰囲気を見ればすぐに理解してくれるだろうと期待したのです。

しかし私の期待は裏切られました。
「これから脱会する人たちが増えるかもしれませんが、皆さんは先生を守っていってくださいね。」
その言葉で脱会を決意しました。
「ここは主の教会です。」と日頃言っていたけれど、
まるで虐待的牧師の教会と言っているような言い方でした。
「脱会すべきかどうか、脱会するならいつがいいでしょうか。」
その祈りに主が答えてくださって、はっきりと目の前に現実を見せてくださったと思いました。

その数日前に、私はエゼキエル34章を読んでいました。
「あなた方は脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、こえた羊を屠るが、羊を養わない。
弱った羊を強めず、病気の者を癒さず、傷ついた者を包まず、
迷い出た者を連れ戻さず、失われた者を探さず、
かえって力ずくと暴力で彼らを支配した。」(エゼキエル34:3-4)

これがカルト化教会、虐待的牧師、虐待敵役員のしたこと、実態だと思いました。
そしてその行為を忠告もせず、知っているのに聞いているのに庇い、
真実を見ようとしない協力牧師と一部の信徒たち。

「見よ。私は自分で私の羊を探し出し、これのせわをする。」(12節)
しかし、神様は失望し悲しみの中にいる私たちを守り、導き、せわをすると言ってくださいました。

私の迷いは消えました。
協力牧師夫妻のことは残念だけど、それよりも私は自分と自分の信仰を守りたいと思いました。
ここにいては苦しみが増すばかりとわかって、脱会することを決心しました。

  


Posted by スイトピー at 15:00過去のカルト化教会の体験と脱会

2023年07月21日

脱会を考え始める

教会の分裂が明るみに出てから、十日ほどして牧師が戻ってきました。
 「皆さんには色々ご心配かけました。」
それが牧師の最初の挨拶でした。
こんなに教会が混乱し、不安定になっているのだから、真実を聞かせてくれるかも、
きちんと説明してくれるかも…、という期待は見事に裏切られました。

今となっては、(虐待的牧師は、分裂の原因をうやむやにし、
最初から信徒に対して説明なんてする気はなかったのだろうから、
説明があるかも、と期待する方がおかしいのだ。)とわかるけれど、
その時は、これだけの大変なことが起きているのに、説明がされないなんて…と驚きました。
 

牧師が教会に戻ってきて、初めて話をしたとき、
「神様しっかり見てくださいね。」と泣きながら言ったのです。
私は、「教会がこんな状態になったからといって、信仰を失うこと、神様に失望することがないように。」という意味だろうなと思っていました。
でも、今はこれも、私に虐待的牧師を信じさせるためだけの言葉だったのだ。」と思います。
 

その他にも、礼拝メッセージで虐待的牧師は、
「あなたたち聖書読んでいないでしょう?
祈ってないでしょう?」
と言ったのです。

「祈ってないでしょう。」
体調を崩し、精神的にもボロボロで具合が悪かった私に、
役員が言った言葉と同じでした。
「祈ってないでしょう。」

虐待的牧師も役員も「祈ってない」ってどうやって知ることができるのでしょうか?
なぜ信徒一人一人が「聖書読んでいない」ってわかるのでしょうか?
もしかしてこの二人以上に祈ったり、聖書を読んでいる人がいるかもしれないのです。
 

「先生を守ってください。」
「教会、神の宮を守ってください。」
そのような祈りが多くなり、サタン追い出しの祈りも盛んになってきました。
私は脱会することを考え始め、神様からの答えがほしくて祈り始めました。

  


Posted by スイトピー at 00:04過去のカルト化教会の体験と脱会

2023年07月20日

ここには愛がない

 その頃、私は教会分裂のこととは別に、ある問題で、とてもストレスを感じていました。
そのことが原因で、食欲もなくなり、夜も眠れない日々が続いていました。

1週間祈って、私はそのことを役員の一人に話しました。
本当は牧師に話したかったけれど、その頃は、教会分裂のことで雰囲気もおかしく、
また牧師は教会にはいなかったので、役員に話したのでした。
その人も教会分裂問題の渦中にいて、それどころではなかったかもしれないけれど…。

 私が話し始めて3分の2も話していないところで、彼女は
「あなた、祈ってないでしょ!私も今日から祈るからあなたも祈りなさい。」と言ったのです。

私は唖然としました。
話をじっくりと聞き、聖書的にどのように対処したらよいのか教えてくれると思っていたのに、
いきなり「祈ってないでしょ。」と言われるなんて…。

おまけに問題解決のために関わってくれると思いきや、
「そんなに辛かったら家に帰りなさい。」と言ったのです。
たしかに食事もあまり摂れなかったし、体調もものすごく悪かったけれど、
家に帰って、家族に看病してもらって治るものではないことは、私が1番よく知っていました。
その問題解決のために、牧師、あるいは教会のリーダーが関わってほしいと思ったのです。

しかし、祈ることと「神に信頼しなさい」と言われ、
み言葉を読んだだけで話は終り、その後「あれからどうなったの?」という声かけもありませんでした。

それなのに、彼女は虐待的牧師のことだけは、とても心配していて、
「もっと先生のために祈らないと…。」
「私たちは、先生のための祈りが少なかったと思う。」
などと言っているのです。
牧師のことだけが大切で、他の信徒、私のことはどうでもよいという感じ。
「先生を守ってください。」
その頃、この言葉は教会でよく聞かれた祈りの言葉でした。
教会のことで悩み、来ない人がさらに出てきていた時期なのに、
「教会のために」とか、「来なくなった人たちのために」と
祈ることは本当に少なかったと思います。
(「互いに愛し合いましょう。」なんてよく言ってたけど、
ここには本当の愛がないのかも…。)
私は、そう感じ始めていました。

  


Posted by スイトピー at 09:22過去のカルト化教会の体験と脱会

2023年07月20日

突然の混乱

伝道集会への準備、ビーチパーティーなどをしながらも、教会の雰囲気はなんとなく落ち着かない感じでした。
そして、問題は突然起こったのです。

 日曜日の夜、私が空港ロビーに入って、携帯の電源を入れたときでした。
教会の姉妹から電話がありました。
「私、今日礼拝休んだんだけど、礼拝の時、何かあったの?」
私は旅行から帰って来たばかりで、礼拝に行っていないことを話して電話を切りました。
何のことかさっぱりわかりませんでした。

 後日、数名の人たちから話を聞いたのですが、
礼拝の終わり頃、「教会に分裂が起こっている」ということで
協力牧師から話があったのだそうです。
ある人たちが教会を分裂させているというのです。
そのことについて聞くと、牧師側についている人とそうではない人からの話とでは、内容に違いがあることに徐々に気づき始めました。

私は最初、全面的に100%牧師が正しいと信じていました。
そして、これはただの教会内のもめごとと思っていました。
サタンが私たちの教会、教会の働きを攻撃してきているのだと思っていました。
 しかし、徐々に不信と疑問がわいてきたのです。

まず、教会の雰囲気も冷たくおかしいのに、次の集会から牧師が教会にいないということ。
教会員同士の間に壁があるように感じること。
ある一部の人たちを無視する傾向にあるということ。

最初は私も牧師が正しいと思っていたし、
問題提起した人たちに対しては、何かあったとしても教会がこんな状態になるまで追い詰めなくても…という思いがありました。
しかし、自分自身の辛い経験を通して、真実が見えてくることになったのでした。

  


Posted by スイトピー at 00:08過去のカルト化教会の体験と脱会

2023年07月19日

何かおかしい

脱会する数ヶ月前のこと。
今から考えると、問題が起こり、脱会者が多くなり、分裂する予兆は数ヶ月前には現われていたのだと思います。
でも、その頃、私は気づいていませんでした。

ただ、その頃には、信仰を持って生きる喜びを毎日感じながら、いきいきと生きているというよりは、
わけのわからない辛さ、息苦しさ、悲しみをかかえて、でも、それがどうしてなのかわからずに、毎日を過ごしていたと思います。
 その頃は問題は表面化していなかったけれど、
教会内の雰囲気もおかしかったと思います。

 まず教会に来なくなった人が出てきたこと。
数年前は、あんなに一生懸命でいきいきと活動していた人、
ビジョンにもえていた人がまったく礼拝にも祈祷会にも来なくなったのです。
クリスマスにも来ないからみんなで「どうしたんだろうね。」と話し合ってはいましたが…。
そして彼女の他にも来なくなった人が出てきました。
「Gさんは仕事が忙しいのかもね。」
「どんなに忙しくたって安息日は守った方がいいのにねぇ。」
私たちは、何も知らずにこんな会話をしていました。

賛美や奏楽の奉仕についても、おかしいと感じることがありました。
正統派教会の奉仕は、どんな風に決めるのかよく知らないけれど、
それでも私はおかしいと感じていたし、他にも疑問を持っている人、反感を感じている人はいたようです。

その女性は他教会から転会してきました。
その人が突然奏楽の奉仕に入るようになったのです。
正統派教会では他教会から転会する人がいる場合、転会にあたっての誓約をします。
しかし、カルト化教会にはそのようなものはありませんでした。
新来会者挨拶をして、拍手をして、それで終わり。

そして、礼拝の報告や祈祷会のときなどにも何の連絡もされず、
いきなり彼女が奏楽をし始めたのです。
皆わけがわからずとまどっているという感じでした。
彼女の演奏は確かにうまかったけど、集会出席者全員に心を配り、
その時の雰囲気を見ながら…というより、自分の気持ち、感情で弾いているという感じでした。
突然新しい歌を演奏し始めたり、予定外のことをされるので、とまどいました。

虐待的牧師に何人かで質問したとき、
「Hさんはちょっと落ち込んでいて、癒しが必要だから、そのために教会で演奏することが必要なのです。
教会でピアノ弾いていると癒されるからって…。」
という答えでした。
癒しが必要ということと、だから奏楽をさせるということとは、まったく繋がらない話のように私には思えました。
しかし、牧師が言うのだから、信徒はそれに従うしかありません。
 

 その年は秋に外国からの講師を招いて、調教派合同での大きな大会が行われることになっていました。
カルト化教会も参加することになっていて、そのための献金、祈り、
準備のための集会への参加と、とても活気に溢れた雰囲気でした。
けれど、それも何だか浮ついているような、お祭り騒ぎをしているような雰囲気にも見えました。
私はその頃、心の中では、もうほとんどそのような大会などには、関心もなく、冷めている状態でした。

  


Posted by スイトピー at 22:40過去のカルト化教会の体験と脱会