2018年11月22日

決定権を取り戻す

 カルト化教会の脱会者の中には、「ノー」を言うのが苦手、断ることに罪悪感を感じる方が多いかもしれません。
私もカルト化教会脱会後、ずいぶん長い間、断ること、「ノー」を言うことに罪悪感を感じていました。
相手が依頼してきたことを断るのは、不寛容なのではないだろうか?私はクリスチャンとして相手を受け入れ合わせてあげないといけないのではないだろうか?
断るのは愛がないからではないだろうか?そう考えていて、断るのが苦手、「ノー」を言うのが苦手でした。
それは私の数年間の課題でした。

そのように葛藤し、悩んでいる時、村上先生からこのようなメールをいただきました。許可を得て、掲載します。

 【引用ここから】
私はその気はありませんと断れば済むことです。どうして、しなければならないように受け止めるのですか。断ればいいのです。
決定権はスイトピーさんにあるのに、つらいは断れないような気持ちの時ですよ。
断るのがつらいわけではないでしょう。
クリスチャンらしくではなく、クリスチャンとして生きるのです。らしくはもどき、まねごとです。

どうして断るのが不寛容なのでしょうか。
シンプルにノーはノー、イエスはイエスでいいではないですか。イエス様もそう教えられました。
なぜと聞いてきたら、今はその気にならないからと断ればいいのです。
【引用ここまで】

 イエス様も「しかりはしかり、否は否と言いなさい。」とおっしゃいました。
イエス様は間違っていることははっきりと指摘されたし、パリサイ人たちの顔色をうかがうことはなさいませんでした。
安息日に片手の不自由な人を癒されたとき、パリサイ人たちの考えを知っていたけど、イエス様は片手の不自由な人を癒されました。

私ははっきりと自分の考えを言い、「ノー」を言えるようになるまで時間はかかりましたが、それができるようになって、今はとてもすっきりした気持ちです。
変われるまで時間はかかったし、村上先生が教えてくださったこと、イエス様が教えられたこと、自分で判断することが大切であることを心に言い聞かせて取り組んできました。

カルト化教会では牧師の命令が絶対で、服従することが求められました。
自分の考え、意思は捨てて従うのが従順、信仰的と教え込まれました。
しかし、脱会後、それに気づいたら、変わることができます。
自分の決定権、自分の意思、自分の判断、自由を取り戻すのです。

そのためにはカルト化教会で命令されてつらかった、従うしかなかったと悲しむだけでなく、克服のために向き合い、取り組むことが大切です。
「私は自分で決めていい。自分で決定するのが大切。断ってもいい。」と自分に言い聞かせて、チャレンジしていくことが大切と思います。


  


Posted by スイトピー at 22:41カルト後遺症とリハビリ