てぃーだブログ › クリスチャン・スイトピーの日記 2 › 学んだ事、考えた事 › 「牧師」って特別な人?

2017年01月19日

「牧師」って特別な人?

カルト化教会では、牧師を特別な存在として教え込みます。
神に一番近い存在として、いや、神そのものであるかのような気持ちをさえいだかせます。
カルト化牧師は、信徒の心をキリストにではなく、牧師に向けさせ、依存させていきます。
脱会後も被害者は、「牧師は特別な人なのではないだろうか?」という思い、感覚が中々抜けません。
カウンセリングや学びを通して、少しずつ思いや考え方、感じ方が変化していきます。
私の場合もカルト化教会を脱会して10年になりますが、一度に全部を理解できるようになったのではありませんでした。
少しずつ少しずつ間違いに気がつき、正しい事がわかってきました。
間違いに気付いたり、正しい事がわかってくるのにも、段階があると感じています。
下記は最近の私と村上先生のメールのやりとりです。
「牧師は特別な人なのか?」という事に対しての質問と答えが対話形式になっているので、理解しやすいだろうと思い、ブログで掲載する事にしました。
「 」の中が私の質問、言葉です。
@ が村上先生からの答えです。


「今日、カイロスの会で『牧師』について話題になりましたね。
村上先生は『牧師は神の代理人ではなく、機能的役割りだ』と
おっしゃいました。
『牧師も信徒と同じ教会員』とおっしゃいました。
私はそれを聞いていて、『それは会社で課長、係長、部長が
いるように、それと同じ牧師も機能的役割りであって、
特別な人ではない。』と思いました。
そしてそう発言しました。
私の考え方は、これでいいと思うのですが…。」
*会社を運営していくために、それぞれ任務を打っているわけです。
特別な人ではありません。

「村上先生は私の最初のカウンセリングで、
『牧師も信徒も神様の前には平等だ。」と
おっしゃっていました。」
*平等だから、牧師は特別ではないのです。
万民祭司だから、牧師だけ特別というわけではないのです。
牧師は、教会で、ゆだねられた働き(信徒の牧会、宣教、運営)をします。

「『万民祭司』という事はわかります。
私が疑問に思ったのは、牧師はゆだねられた働き(信徒の牧会、宣教、運営)が
あるから、とくに牧会ですが、それをしているから、
だから『牧師は特別なのではないだろうか?』という思いがあります。

*聖書に牧師という職は1回しかでてきません。伝道師はもっと出てきます。
使徒や預言者も出てきます。
どうして、牧会が特別でしょうか。牧会は牧師だけではなく、日曜学校の先生もしています。
役員もその働きをしています。信徒も牧会をそのようなことがを使わないでしています。
親身に関わることは牧会と同じです。

「そのような考えになってしまうんです。
だって、神様から選ばれて、牧師になったんですよね?」

*選ばれたから、それはクリスチャンのすべてが選ばれて、それぞれのたまものに応じて神に奉仕しています。

「牧会って教会で中心的な働きだし、神様からゆだねられているから
できるんですよね?
だから、やっぱり『牧師は特別』っていう
気がするんですけど…。

*学校の先生を特別視する時代がありました。
西欧では王様を特別視する時代がありました。
王は神に選ばれて権威を授けられているという説です。王権神授説と言います。
特別視する考えが、特定な人を、特別と思うのです。それならば、平等はないことになります。
どれだけ、特別視する牧師が問題を起こしてきたかです。そして、牧師という呼び方は、宗教改革後です。
使徒時代から受け継がれてきた言葉ではありません。概念が違います。

「私が脱会したカルト化教会では、牧師は羊飼いで、群れを牧する特別な働きをゆだねられていて、
霊の親でもあると言っていました。」

*そのようなことは聖書にありません。

「『霊の親』は間違いとわかっています。
『特別』というのがどういうのかというと、牧師はみこころや
神様の計画やビジョンが示されるから、
それに従って、信徒を導く、と言っていました。」

*そうやって特別視するように仕向けているのです。
神の計画はクリスチャンにもあります。ビジョンもそうです。

「『みこころがわかる」っていうのも、間違いと今はわかります。
あれは『みこころ』じゃなくて、カルト牧師の勝手な思い込み、
あるいは妄想だと思います。
そうは思うし、そこまで理解してはいますが、
やっぱり『牧会する人は特別、牧師は特別なんじゃないか』って
思いがまだ私の中にあります。」

*牧師は狭義では、教会を任されている人です。
その牧師を教えた人がいます。教会を持たない神学校の教師です。
スイトピーさんの考えだと、牧師を育てたから、教師はもっと偉いことになります。
その教師を生んだお母さんはもっと偉いことになります。
その家族は神に選ばれた特別な家族となります。
特別視するとこのように思考が展開します。 際限がありません。

「自分が信じている事をうまく説明できないのですが…。
私が信じている事って間違っているんでしょうか。
教えてください。」
*その職を忠実に牧師が果たすなら敬意を払うことです。
それは特別視ではありません。
牧師は信徒に支えられてその職ができます。
支えている信徒に感謝しながら、牧師はその職務を果たすのです。
信徒を低くみる歴史があったのです。平信徒という言葉です。聖書にありません。
教会が歴史の中で作り上げた言葉です。万民祭司からは出てこない言葉です。




同じカテゴリー(学んだ事、考えた事)の記事
牧師と信徒
牧師と信徒(2017-01-21 17:53)


Posted by スイトピー at 00:05 │学んだ事、考えた事