2023年07月21日

迷いと祈りと奪回の決心

礼拝の様子、教会の雰囲気を見て、脱会することに気持ちは傾きながらも、迷う気持ちもありました。
もっと大きな教会堂を立てることを皆で話し合ってきたし、私はそこをバリアフリーの教会にすること、
建物だけではなくて中身(心)もバリアフリーの教会にしたいというビジョンを持っていました。
教会を脱会するということは、そのビジョンを投げ捨ててしまうことになると思ったのです。

 それに尊敬していた協力牧師夫妻のことも気がかりでした。
先生たちと離れるのが辛いと思いました。
協力牧師夫妻はカルト化教会牧師のことを信じていたし、
牧師のしていることに忠告し、悔い改めるよう迫った役員や信徒が「間違っている。
あの人たちは本当に悔い改めないといけない」と言っていました。
だから教会を出るということは、イコール先生たちとの交流も絶たれるということを意味しました。

 それは寂しかったけれど、祈る中で本当に正しいことは何なのか考えられるようになってきました。
やみくもに牧師を庇い、間違っていることをしていてもそれを隠し、庇い、隠蔽工作をする。
訴えている人たちの立場に立つということをせず、一方的に責め、問題の本質を見ようとしない。
そういうことにうすうす気づき始めました。

虐待的牧師の行為を正そうとしている人たち、信仰の虐待を受けていた人からの話でそれが真実ということがわかりました。
信仰の虐待、精神的虐待、いじめは虐待的牧師からだけではなくて、一人の役員からもあったのです。
その人のしていることは、他にも問題がありました。

協力牧師やそれを知っている一部の人たちは、真実を隠し、
話を作り替え、虐待的牧師を養護し、
忠告した人や訴えた人を追い出しました。

私はそれらの話を聞き、礼拝の時協力牧師が、
「これから脱会する人が増えるかもしれませんが、皆さんは動揺せず、先生を守っていってくださいね。」
と言った時、それまで「脱会すべきかどうか。脱会するならいつがいいのか。」祈っていた答えが与えられたと思いました。

私は協力牧師夫妻に少し期待していました。
教会内部で騒ぎがあった後から1ヶ月たって教会員が減っていること、
主要なメンバーがほとんどいないこと、昔からいたメンバーがほとんどいなくなったことを見れば問題の深刻さがわかってもらえるだろう。
教会の雰囲気を見ればすぐに理解してくれるだろうと期待したのです。

しかし私の期待は裏切られました。
「これから脱会する人たちが増えるかもしれませんが、皆さんは先生を守っていってくださいね。」
その言葉で脱会を決意しました。
「ここは主の教会です。」と日頃言っていたけれど、
まるで虐待的牧師の教会と言っているような言い方でした。
「脱会すべきかどうか、脱会するならいつがいいでしょうか。」
その祈りに主が答えてくださって、はっきりと目の前に現実を見せてくださったと思いました。

その数日前に、私はエゼキエル34章を読んでいました。
「あなた方は脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、こえた羊を屠るが、羊を養わない。
弱った羊を強めず、病気の者を癒さず、傷ついた者を包まず、
迷い出た者を連れ戻さず、失われた者を探さず、
かえって力ずくと暴力で彼らを支配した。」(エゼキエル34:3-4)

これがカルト化教会、虐待的牧師、虐待敵役員のしたこと、実態だと思いました。
そしてその行為を忠告もせず、知っているのに聞いているのに庇い、
真実を見ようとしない協力牧師と一部の信徒たち。

「見よ。私は自分で私の羊を探し出し、これのせわをする。」(12節)
しかし、神様は失望し悲しみの中にいる私たちを守り、導き、せわをすると言ってくださいました。

私の迷いは消えました。
協力牧師夫妻のことは残念だけど、それよりも私は自分と自分の信仰を守りたいと思いました。
ここにいては苦しみが増すばかりとわかって、脱会することを決心しました。



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