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2018年06月30日

カルト化教会でのある出来事

去年の秋頃からカルト化教会であったある出来事について考え、村上先生やカイロスの会、ぶどうの会の仲間にも話し、それ以外の数人の友人にも話し、向き合ってきたことがあります。
一段落ついたのと、かなり気持ちが整理できたのと、これから書くことがこの記事を読んでくださっているカルト化教会被害者の方の参考になるかもしれないと思ったので、ブログに書くことにしました。
私は今までカルト化教会で牧師から受けた信仰の虐待、精神的虐待、マインドコントロールのダメージからの回復のため、カウンセリングを受け、学び、向き合ってきました。
かなり回復してきました。心が楽になってきました。不眠症も極度の不安や恐怖心からも回復することができました。
しかし、ある一つの出来事については向き合うのを避け続けていたことがありました。
そこからの回復、考え方が変わってきたことについて書く前に、私が避け続けてきた出来事が何なのかについてですが、アッセンブリー京都教会の村上密先生が先生のブログで書いてくださっている記事を紹介します。
全文引用します。
 
2017年 11月 15日   
   諭しか虐待か 
ある教会で、目の見えないスイトピーさんは信仰生活を過ごしていた。教会には彼女にいろいろと気に障ることを言ったり、ちょっかい出してくる子がいた。
彼女は、我慢してきたが、牧師に、その子に対して注意してほしい、障害者を特別な目で見たり、ばかにしたりしないように教えてほしいと依頼した。
すると、牧師は「なぜあなたは兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって『あなたの目のちりをとらせてください』などとどうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち、まず自分の目から梁をとりのけなさい。そうすればはっきり見えて、兄弟の目からもちりを取り除くことができます。」(マタイ7:3-5)というみ言葉を引用して、
「あなたは人の欠点を見ているけど、自分だって人を傷つけたことがあるでしょう。」と言った。それから「神様はあなたをこんなにすばらしく作ってくれたのに、そしてあなたを愛しているのに、あなたが自分の存在を悲しんでいたら、神様悲しむよ」と言った。彼女は、この言葉を、神が障害に共感し、心を痛めておられるのではなく、神がこんなに自分を愛し、自分をすばらしく作ったのに、それを信じないで、トラウマに縛られて、いつまでも引きずっていることが、神を悲しませることになるという意味に受け取った。簡単に言うと、あなたの不信仰が、弱さが神を悲しませていると受けとめたのである。

子供は「目が見えない人だ。」と何度もはやしたてた。目の前に手をかざして見えるかどうかを試した。歩いているときわざと前に立ったりもした。牧師は、それに対してそういうことは見えないことへの好奇心から出たことであって、それをいやだと思うのは、考えすぎだと言った。牧師は、その場にはいなかった、その状況を見てもいない。
彼女は、牧師に状況を話して「子供にきちんと教えてほしい。これから教会が大きくなって、人も増えたら、もっといろんな人が教会に来るから、その時、またこんなことが起きてもよくないので、今のうちからきちんと教えてください。」と頼んだ。しかし、依頼が受け入れられず、話はかみ合わず、悲しみをいだいたまま帰宅した。

彼女の教会では、互いに愛し合い、赦すようにと教えられた。しかし、今考えてみると、赦すこととは相手の欠点は見て見ないふりをするということであった。メッセージではそんな言い方はしないが、トラブルがあったり、傷付けられたと思って相談に行くと、「神様があなたを愛しているんだから、それを信じて、信頼して、そこに目を向けて強くなりなさい。」と諭された。牧師は問題に向き合うのではなく、問題に対して考えを変えるように教えてきた。嫌がらせを興味として赦すように言っていることになる。

彼女は、牧師との話し合いがあってから、子供に言われたことを嫌だと感じたのは、トラウマのせいであると思うようになった。そのトラウマは幼稚園の頃、彼女は弱視で、幼稚園で毎日ひどいいいじめに遭い、ある日の帰り道、数人の子に囲まれて殴られ、左目を網膜剥離で失明した。それから子供に対する恐怖感を抱くようになった。大人になってからも子供が苦手で、保育園や小学校など子供がたくさんいる所は怖くて学校の傍を通るのもつらい思いをして過ごした。あのいじめを思い出してそんなトラウマを持ち続けているのは自分が悪いのだと教会生活で考えるようになった。つらいものはつらい、いやなものはいや、そのような感情がなくならずに、祈っても祈っても変われない自分を悲しく思うようになった。
教会から離れて、カルトやマインドコントロールについていろいろ学んだ。そして牧師に言われたことは信仰の虐待ではなかったのかと思うようになった。なぜなら、牧師と話があったのは祈祷会が終わって午前0時までで、牧師だけではなく、4人の信徒に囲まれて攻撃されたからである。
 

諭しか虐待か : 村上 密 Blog
https://maranatha.exblog.jp/26176530/

出来事に関しての記事は以上ですが、このことに関してのその後の私とのやり取りで村上先生がブログに記事を書いてくださっていますので、それも紹介します。
 
2017年 11月 17日   

   差別を解消するため 何ができるか 
スイトピーさんから障害者差別に関する以下のやり取りをブログに取り上げてほしいとの依頼があった。大人でも子供でも障害者差別は違法である。警告してもやめない場合は、教会員である場合は除名処分である。被害者が民事告訴を求めている場合は、被害状況を聞いた立場で裁判を支援することになる。教会の罰則で一番厳しいのは除名である。教会員でない場合は出席停止である。障害者差別は状況により名誉棄損または侮辱罪である。刑事ではなく民事扱いである。厳しいようであるが、放って置けば被害者が精神的に大きなダメージを受け、教会も加害者に加担する発言をすれば、教会が差別集団として非難されることになる。差別撤廃のために教会は行動しなければならない。

Q、もし、障害者差別をする子が教会にいた場合は、どのよう解決しますか、と質問があった。
A、差別という言葉を理解しているかわからない年齢だと人が嫌がることをしないように注意します。何度でも注意します。注意してもやめない場合は出席停止の罰則を与えます。悪いことを悪いこととわからない人は交わりから外します。

Q、私、これを読んでびっくりしました。「悪い事を悪いとわからない人、続ける人は交わりから外す」って、すごく驚きました。子供でもそうなのですか?
A、障害者差別はもはや法で禁止されています。分からない場合は間違いを犯し続けるのですから、放置していたら、教会がそのことに加担していると判断されます。子どもだから赦されるものではありません。もし、学校で同じことがあったら、反省するまで自宅謹慎扱いでしょう。

Q,所属していた教会では、子供は特別でした。「神様の子供」だから、子供は自然に神様の事がわかるし、教会やクリスチャンホームにいると、いつも神様の事を聞いているから、素晴らしく育つのだと言っていました、そうではないのですか?クリスチャンホームの子供でも、教会にずっと来ている子供でもちゃんと教えないといけないんですね。
A、両親を教会に呼び、注意したが聞き入れないので、被害に遭っている子(人)を守るために、教会に通うことを遠慮していただきますと伝えます。もし、教会外で同じことをこの子にした場合は(危害を加え場合)警察に通報します。

Q、目のちりのマタイの箇所は私には理解が難しいです。
A、偽善者に言っていることを、牧師に障害者差別をしている子に注意を要請している信徒に使う聖句ではありません。加害者側をかばう牧師の発言は加害行為に加担していることになります。牧師は問題を解決するアプローチを理解していません。その場その場の判断をする牧師で基準を持っていません。聖書が判断基準ではなく、自分が判断基準です。

差別を解消するため 何ができるか : 村上 密 Blog
https://maranatha.exblog.jp/26180558/
 

私がこの出来事に向き合い、考え、本を読み、対話して、得たことは次回の記事に記します。



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Posted by スイトピー at 00:54 │カルト化教会