2024年03月07日
神を見上げて生きる
先日、とても嬉しい知らせを受けました。
わたしの友人のご夫妻が海外で仕事をすることになりました。
それは多くの人たちを助け、地域の人々に仕える素晴らしい働きです。
お二人の以前からの願いがかなったこともとても嬉しかったのですが、
それよりもわたしが嬉しいと感じたのは、今までのお二人の忍耐と取り組みを神様が知ってくださっていて、
試練から助けてくださっただけではなく、その後にお二人の祈りと願いを聞いてくださったこと、それをかなえてくださったこと、
新しい働きへの扉を開いてくださったこと。
しかもそれは自己実現ではなく、助けを必要としている人たちへの支援です。
これまでのお二人が試練の中で忍耐して、問題に取り組んできた経験が生かされることとなったからです。
お二人の願いと、努力と必要な知識を得るための学び、
信仰生活の歩みの中でのこれまでの経験と学んできたこと、
そして神様のお二人への計画と助けと神様が道を開いてくださったことが重なって、新しい働きを始められるのです。
神様は全てを生かして益に変えてくださったのだと、話を聞いてわたしは思いました。
嬉しい知らせを聞いて、わたしは村上先生が教えてくださったこと、かつてわたしが試練の中にあったとき、書いてくださった言葉を思い出しました。
「信仰は現実を無視することではなく、現実を直視しながら、
今、信じるものと共に働かれる神を見上げて生きることなのです。」
「いつも問題の中には宝が隠されていて、問題をしっかり受け止めて取り組んだ人だけが、その宝を見つけることができる。」
友人はかつてとてもつらい試練の仲を通りましたが、いつも神様を見上げながら、現実を直視して問題に取り組んでいました。
会う度にいつも「神様はほんとに素晴らしいお方だと思う。」とよく言っていました。
わたしは試練や悩みに遭うと、動揺したり落ち込むことが多いけど、
友人はいつも「神様はほんとに素晴らしい。
感謝です。」と言っていて、
彼女の神様への信頼の強さに励まされていました。
彼女はつらい仲でも、「信じる者と共に働かれる神」を見上げながら、過ごしていたと思います。
その信仰生活がわたしを励ましてくれていました。
わたしの友人のご夫妻が海外で仕事をすることになりました。
それは多くの人たちを助け、地域の人々に仕える素晴らしい働きです。
お二人の以前からの願いがかなったこともとても嬉しかったのですが、
それよりもわたしが嬉しいと感じたのは、今までのお二人の忍耐と取り組みを神様が知ってくださっていて、
試練から助けてくださっただけではなく、その後にお二人の祈りと願いを聞いてくださったこと、それをかなえてくださったこと、
新しい働きへの扉を開いてくださったこと。
しかもそれは自己実現ではなく、助けを必要としている人たちへの支援です。
これまでのお二人が試練の中で忍耐して、問題に取り組んできた経験が生かされることとなったからです。
お二人の願いと、努力と必要な知識を得るための学び、
信仰生活の歩みの中でのこれまでの経験と学んできたこと、
そして神様のお二人への計画と助けと神様が道を開いてくださったことが重なって、新しい働きを始められるのです。
神様は全てを生かして益に変えてくださったのだと、話を聞いてわたしは思いました。
嬉しい知らせを聞いて、わたしは村上先生が教えてくださったこと、かつてわたしが試練の中にあったとき、書いてくださった言葉を思い出しました。
「信仰は現実を無視することではなく、現実を直視しながら、
今、信じるものと共に働かれる神を見上げて生きることなのです。」
「いつも問題の中には宝が隠されていて、問題をしっかり受け止めて取り組んだ人だけが、その宝を見つけることができる。」
友人はかつてとてもつらい試練の仲を通りましたが、いつも神様を見上げながら、現実を直視して問題に取り組んでいました。
会う度にいつも「神様はほんとに素晴らしいお方だと思う。」とよく言っていました。
わたしは試練や悩みに遭うと、動揺したり落ち込むことが多いけど、
友人はいつも「神様はほんとに素晴らしい。
感謝です。」と言っていて、
彼女の神様への信頼の強さに励まされていました。
彼女はつらい仲でも、「信じる者と共に働かれる神」を見上げながら、過ごしていたと思います。
その信仰生活がわたしを励ましてくれていました。
2024年02月23日
時が経って…
数日前、パスカル・ズィヴィーさんと10年ぶりぐらいにお話しすることができました。
本題の話が終わって、昔の話になり、
「初めて会ってからどれぐらい経っていますか?
初めて会ったのは沖縄のセミナーの時だったでしょうか。
京都でのセミナーの時でしたか?」
という話になり、
「どちらだったでしょうねー。
わたしも記憶があいまいなんです。
京都でのセミナーは2008年の11月だったのは覚えています。
初めて会ったのはたぶん京都のセミナーだったと思います。」と言ったら、
」あれからもう15年ですね。」
と昔の話になりました。
あの頃わたしは脱会してまだ2年しか経っていなくて、不安、恐怖心も強く、他の後遺症もあってとてもつらい時期でした。
それでも2006年の秋に脱会して、翌年の5月には村上先生と会うことができ、カウンセリングをお願いして、
その後にパスカルさんにもカウンセリングしていただいていました。
わりと早めに対処できていたのがよかったと思います。
パスカルさんとあの頃、つらかった頃の話になり、わたしは
「あの時パスカルさんはわたしに『何をどのように考えるのかも全部自分で考えるように。』ってアドバイスしてくださいましたね。
あれが一番つらかったですけど、つらくてもそれをやらないと回復にならないと思って一生懸命取り組み続けました。
村上先生も『自分で考えなさい。自分で決めなさい。』って言ってました。
あの頃はそれをするのがつらかったですが、今はつらいとか、大変とか何も感じずに、普通に考えられるようになってます。
そんなことがあったなんて意識もしないで…。
あの時はつらくて大変でしたけど、カウンセリングを受けることができて、自分なりに向き合って、回復のために取り組み続けて、回復して元気になれました。
ありがとうございます。」
とお話ししました。
パスカルさんは
「本にも書きましたが、何を考えなければならないか、
何をどのように考えなければならないか、
考えるのは被害者にとってとてもつらいことだけど、
考えることが難しいことを克服するためにどのように考えなければいけないか、
それも全部自分で考えないといけない。」
と話されました。
16年前もカウンセリングの中で同じことを聞いたと思います。
あの時はそれがすごく大変でつらいことと感じられましたが、
今はパスカルさんの言っていることの大切さがよくわかります。
これは被害者の回復にとってとても重要なことだし、大切なことで譲れないことです。
あの頃を振り返って、自分の問題ときちんと向き合うことの大切さ、
自分と向き合うことの必要性、カウンセリングの大切さ、自分で考えることの重要性について意見交換できて、
昔の話もできて、時が経ったんだなとしみじみ思いました。
昔おせわになった人たちとの関りが再開されることが最近続いていて嬉しい気持ちです。
しかも、あの頃はわたしが助けてもらうことが多かったけど、今はほんとに対等の立場、状況で、
協力し合ったり、話し合ったり、意見交換をしあうことができるので嬉しいしありがたいと思っています。
本題の話が終わって、昔の話になり、
「初めて会ってからどれぐらい経っていますか?
初めて会ったのは沖縄のセミナーの時だったでしょうか。
京都でのセミナーの時でしたか?」
という話になり、
「どちらだったでしょうねー。
わたしも記憶があいまいなんです。
京都でのセミナーは2008年の11月だったのは覚えています。
初めて会ったのはたぶん京都のセミナーだったと思います。」と言ったら、
」あれからもう15年ですね。」
と昔の話になりました。
あの頃わたしは脱会してまだ2年しか経っていなくて、不安、恐怖心も強く、他の後遺症もあってとてもつらい時期でした。
それでも2006年の秋に脱会して、翌年の5月には村上先生と会うことができ、カウンセリングをお願いして、
その後にパスカルさんにもカウンセリングしていただいていました。
わりと早めに対処できていたのがよかったと思います。
パスカルさんとあの頃、つらかった頃の話になり、わたしは
「あの時パスカルさんはわたしに『何をどのように考えるのかも全部自分で考えるように。』ってアドバイスしてくださいましたね。
あれが一番つらかったですけど、つらくてもそれをやらないと回復にならないと思って一生懸命取り組み続けました。
村上先生も『自分で考えなさい。自分で決めなさい。』って言ってました。
あの頃はそれをするのがつらかったですが、今はつらいとか、大変とか何も感じずに、普通に考えられるようになってます。
そんなことがあったなんて意識もしないで…。
あの時はつらくて大変でしたけど、カウンセリングを受けることができて、自分なりに向き合って、回復のために取り組み続けて、回復して元気になれました。
ありがとうございます。」
とお話ししました。
パスカルさんは
「本にも書きましたが、何を考えなければならないか、
何をどのように考えなければならないか、
考えるのは被害者にとってとてもつらいことだけど、
考えることが難しいことを克服するためにどのように考えなければいけないか、
それも全部自分で考えないといけない。」
と話されました。
16年前もカウンセリングの中で同じことを聞いたと思います。
あの時はそれがすごく大変でつらいことと感じられましたが、
今はパスカルさんの言っていることの大切さがよくわかります。
これは被害者の回復にとってとても重要なことだし、大切なことで譲れないことです。
あの頃を振り返って、自分の問題ときちんと向き合うことの大切さ、
自分と向き合うことの必要性、カウンセリングの大切さ、自分で考えることの重要性について意見交換できて、
昔の話もできて、時が経ったんだなとしみじみ思いました。
昔おせわになった人たちとの関りが再開されることが最近続いていて嬉しい気持ちです。
しかも、あの頃はわたしが助けてもらうことが多かったけど、今はほんとに対等の立場、状況で、
協力し合ったり、話し合ったり、意見交換をしあうことができるので嬉しいしありがたいと思っています。
2024年01月08日
「女性牧師」
わたしは年末年始中国地方に旅行しました。
そこである教会の先生からお招きを受けて、教会にお邪魔しました。
その教会で最近洗礼を受けられた方や近所の方と一緒にお節料理をいただき、お話することができました。
カルト化教会を脱会した頃から数年間の、過去のことを思い出したら、牧師に招かれて教会でごちそうになるなんて信じられないことです。
わたしは旅行に行くことを数人の友人に話していました。
クリスチャンの友人が、「@@に○○先生という先生がいらっしゃるんだけど、女性だし、スイトピーさんと話が合うと思うよ。
紹介するから連絡してみたら?」と勧めてくれました。
友人の心づかいはありがたかったけれど、わたしは1度断りました。
それはなぜか?
わたしが「女性牧師」にマイナスなイメージを持っていたからでした。
わたしが脱会した「カルト化教会」の牧師は女性です。
「女性の牧師」というと、あのカルト化教会の虐待的牧師を思い出して、どうしても会う気持ちにはなれませんでした。
いや、男性の牧師であっても、よく知らない人に、旅行中にわざわざ会いに行く気にはなれないです。
以前に比べたら「牧師が怖い」とは思わなくなっていますが、知らない牧師、初対面の牧師は警戒してしまいます。
友人の勧めを1度は断ったのですが、数日後その友人から再び勧めがありました。
それで(会うかどうかはわからないけど、連絡をとってみるだけなら…。)と思い、先生に連絡をしてみました。
翌日先生から電話をいただき、お話をしました。
色々と話す中でいつ洗礼を受けたのか、どこの教会に所属しているのか聞かれたので、思い切って自分がカルト化教会脱会者であること、
カルト化教会脱会後、村上先生のカウンセリングを受けたこと、
今は村上先生が牧会している泊教会(アッセンブリー京都教会のブランチ教会)におせわになっていることを話しました。
先生はきちんと話を聞いてくれましたが、その後の対応も普通で、本当に自然に、普通に、対等に接してくださいました。
カルト化教会にあるような牧師と信徒の上下関係はありませんでした。
当日のお昼前に、教会近くの駅で電車を降りると、先生が改札口で出迎えてくださいました。
教会の信徒さんも一緒に教会に向かいながら、あらためての自己紹介と雑談をしました。
教会に着くと、お雑煮とお節料理、ちらし寿司をいただきました。
お茶を出すのも、料理を運ぶのも全て先生がなさっていて、信徒の方も、近所の方も座っていました。
もうそれだけでわたしとしては、かなりの驚きでした。
カルト化教会だったら、ラブシャワーの時期ならともかく、牧師が台所のこと色々していて、信徒が座ってるなんてありえないことです。
村上先生も率先して動かれて、信徒牧師関係なく、お茶の準備もなさるし、困っている人がいれば助けるし、誰とでも対等に接していらっしゃるから、そういう姿が普通でわたしは以前のようには驚かなくなっていたけど、
女性牧師でこんなに普通の人、信徒と対等で、いいえ、信徒や周囲の人たちに仕えている牧師の姿を見るなんて初めてのことだったので感動しました。
信徒の方、近所の方ともお話をしていて、先生のお話も聞いて、教会の様子や先生が普段信徒さんや教会外のクリスチャンの方々、地域の方たちにどのように仕えているか知ることができました。
(女性牧師でもこんなに普通の人、信徒と対等に接してくれる牧師、
自分の信仰感を押し付けないで、でもちゃんと伝道してて、
信徒の方をフォローしてて、教会員以外のクリスチャンとも上下関係なく対等に接してくれる先生がいるんだなぁ。)と嬉しかったです。
食後、礼拝堂で CDを聞きながら、先生とお話をしました。
先生はわたしのブログも少し目を通してくださっていて、教会でこんなひどいことが起き、牧師が権威主義になって信徒を支配しているなんて、と被害に驚き、
わたしがかつて牧師が怖かったこと、今回先生に会えたことで女性牧師のイメージが変わったことを話したら、理解してくださいました。
先生もご自分の経験を証ししてくださって、「試練、つらいところを通ることもあるけど、神様はその時も共にいてくださるし、助けてくださって、
それを益に変えてくださいますよね。」と神様への感謝と喜びを分かち合うことができました。
そして帰り際、一緒にお祈りしました。
わたしはそれまで「女性牧師」ってだけで自分の脱会したカルト化教会の虐待的牧師を思い出し、よいイメージは持っていませんでした。
よい牧師もいることは頭ではわかっていましたが、あえて知り合いになりたいとも思わなかったし、わたしは神様は信じているし従いたいけど、教会や牧師には何にも期待してないし、
まして「女性牧師」のイメージが変わらなくても、わたしの信仰生活にも、日常生活にも、さほど影響はないからこのままでいいやって思ってました。
自分の持っている否定的なイメージを変えたいとも思っていなかったし、そのために祈ったこともありませんでした。
「女性牧師」の否定的イメージを変えたいと望んでもいませんでした。
わたしが持っている「女性牧師」のイメージは、表面的にはやさしそうで、言葉も丁寧で、笑顔で、信仰深い、一般的な「クリスチャン」のよいイメージの代表みたいなもの。
しかも、わたしが脱会した「カルト化教会」の虐待的牧師は、実年齢より若く見せるようにおしゃれしていたし、メディアに出るのも大好きで、大きな大会で舞台などで目立つのも大好きだったので、
「女性牧師」というと、どうしてもそういうイメージがありました。
しかも、裏表があって、裏では教会の信徒に対して、信仰の虐待、モラルハラスメント、献金強要、奉仕の強要、神と自分を同一視して「牧師の言うことは神の言うこと」と教え、自分の権威を絶対視していたので、わたしの「女性牧師」のイメージは最悪でした。
わたしはそのイメージを変えたいとは思っていなかったし、変わらなくても別に困らないからこのままでもいいと思っていました。
それなのに神様は先生と出会わせてくださって、わたしの「女性牧師」の否定的イメージ、怖いという思い込みを変えてくださいました。
村上先生は「牧師は特別じゃなくて、信徒と対等なんだよ。」
「神様の前では牧師と信徒は対等。」
「牧師は一つの職業なんだよ。」とおっしゃっています。
今回旅行先で訪れた教会で、牧師とお話をしていて、そのことがふに落ちた感じがしました。
当たり前だけど、先生は神学校を出ていらして、教団に属していらして、地域の人たちや信徒の方々、教会員以外のクリスチャン、多くの方々に仕えていて、素晴らしい働きをされていますが、
でもまったく目立つようなところはなくて、普通の人。
先生とお話をして、神様のこと、信仰のことについてもお話ししましたが、他のクリスチャンの友達とまったく変わらない。
「女性牧師が怖い。女性牧師が苦手」ということについて今まで誰かに話したことも、相談したこともなかったし、
その思いから回復したいとわたしはまったく望んでもいなかったし、今までそのことについても回復させてくださいと祈ったことはなかったけど、「女性牧師」に対しての否定的イメージが変えられて
先生と知り合いになれて、本当によかった、と思いました。
わたしが望んでもいなくて、お願いしてもいなくて、願ってもいなかったことを知っていながらも、無理なく克服できるようによい出会いを与えてくださった神様に感謝しています。
神様、すごいです!
そこである教会の先生からお招きを受けて、教会にお邪魔しました。
その教会で最近洗礼を受けられた方や近所の方と一緒にお節料理をいただき、お話することができました。
カルト化教会を脱会した頃から数年間の、過去のことを思い出したら、牧師に招かれて教会でごちそうになるなんて信じられないことです。
わたしは旅行に行くことを数人の友人に話していました。
クリスチャンの友人が、「@@に○○先生という先生がいらっしゃるんだけど、女性だし、スイトピーさんと話が合うと思うよ。
紹介するから連絡してみたら?」と勧めてくれました。
友人の心づかいはありがたかったけれど、わたしは1度断りました。
それはなぜか?
わたしが「女性牧師」にマイナスなイメージを持っていたからでした。
わたしが脱会した「カルト化教会」の牧師は女性です。
「女性の牧師」というと、あのカルト化教会の虐待的牧師を思い出して、どうしても会う気持ちにはなれませんでした。
いや、男性の牧師であっても、よく知らない人に、旅行中にわざわざ会いに行く気にはなれないです。
以前に比べたら「牧師が怖い」とは思わなくなっていますが、知らない牧師、初対面の牧師は警戒してしまいます。
友人の勧めを1度は断ったのですが、数日後その友人から再び勧めがありました。
それで(会うかどうかはわからないけど、連絡をとってみるだけなら…。)と思い、先生に連絡をしてみました。
翌日先生から電話をいただき、お話をしました。
色々と話す中でいつ洗礼を受けたのか、どこの教会に所属しているのか聞かれたので、思い切って自分がカルト化教会脱会者であること、
カルト化教会脱会後、村上先生のカウンセリングを受けたこと、
今は村上先生が牧会している泊教会(アッセンブリー京都教会のブランチ教会)におせわになっていることを話しました。
先生はきちんと話を聞いてくれましたが、その後の対応も普通で、本当に自然に、普通に、対等に接してくださいました。
カルト化教会にあるような牧師と信徒の上下関係はありませんでした。
当日のお昼前に、教会近くの駅で電車を降りると、先生が改札口で出迎えてくださいました。
教会の信徒さんも一緒に教会に向かいながら、あらためての自己紹介と雑談をしました。
教会に着くと、お雑煮とお節料理、ちらし寿司をいただきました。
お茶を出すのも、料理を運ぶのも全て先生がなさっていて、信徒の方も、近所の方も座っていました。
もうそれだけでわたしとしては、かなりの驚きでした。
カルト化教会だったら、ラブシャワーの時期ならともかく、牧師が台所のこと色々していて、信徒が座ってるなんてありえないことです。
村上先生も率先して動かれて、信徒牧師関係なく、お茶の準備もなさるし、困っている人がいれば助けるし、誰とでも対等に接していらっしゃるから、そういう姿が普通でわたしは以前のようには驚かなくなっていたけど、
女性牧師でこんなに普通の人、信徒と対等で、いいえ、信徒や周囲の人たちに仕えている牧師の姿を見るなんて初めてのことだったので感動しました。
信徒の方、近所の方ともお話をしていて、先生のお話も聞いて、教会の様子や先生が普段信徒さんや教会外のクリスチャンの方々、地域の方たちにどのように仕えているか知ることができました。
(女性牧師でもこんなに普通の人、信徒と対等に接してくれる牧師、
自分の信仰感を押し付けないで、でもちゃんと伝道してて、
信徒の方をフォローしてて、教会員以外のクリスチャンとも上下関係なく対等に接してくれる先生がいるんだなぁ。)と嬉しかったです。
食後、礼拝堂で CDを聞きながら、先生とお話をしました。
先生はわたしのブログも少し目を通してくださっていて、教会でこんなひどいことが起き、牧師が権威主義になって信徒を支配しているなんて、と被害に驚き、
わたしがかつて牧師が怖かったこと、今回先生に会えたことで女性牧師のイメージが変わったことを話したら、理解してくださいました。
先生もご自分の経験を証ししてくださって、「試練、つらいところを通ることもあるけど、神様はその時も共にいてくださるし、助けてくださって、
それを益に変えてくださいますよね。」と神様への感謝と喜びを分かち合うことができました。
そして帰り際、一緒にお祈りしました。
わたしはそれまで「女性牧師」ってだけで自分の脱会したカルト化教会の虐待的牧師を思い出し、よいイメージは持っていませんでした。
よい牧師もいることは頭ではわかっていましたが、あえて知り合いになりたいとも思わなかったし、わたしは神様は信じているし従いたいけど、教会や牧師には何にも期待してないし、
まして「女性牧師」のイメージが変わらなくても、わたしの信仰生活にも、日常生活にも、さほど影響はないからこのままでいいやって思ってました。
自分の持っている否定的なイメージを変えたいとも思っていなかったし、そのために祈ったこともありませんでした。
「女性牧師」の否定的イメージを変えたいと望んでもいませんでした。
わたしが持っている「女性牧師」のイメージは、表面的にはやさしそうで、言葉も丁寧で、笑顔で、信仰深い、一般的な「クリスチャン」のよいイメージの代表みたいなもの。
しかも、わたしが脱会した「カルト化教会」の虐待的牧師は、実年齢より若く見せるようにおしゃれしていたし、メディアに出るのも大好きで、大きな大会で舞台などで目立つのも大好きだったので、
「女性牧師」というと、どうしてもそういうイメージがありました。
しかも、裏表があって、裏では教会の信徒に対して、信仰の虐待、モラルハラスメント、献金強要、奉仕の強要、神と自分を同一視して「牧師の言うことは神の言うこと」と教え、自分の権威を絶対視していたので、わたしの「女性牧師」のイメージは最悪でした。
わたしはそのイメージを変えたいとは思っていなかったし、変わらなくても別に困らないからこのままでもいいと思っていました。
それなのに神様は先生と出会わせてくださって、わたしの「女性牧師」の否定的イメージ、怖いという思い込みを変えてくださいました。
村上先生は「牧師は特別じゃなくて、信徒と対等なんだよ。」
「神様の前では牧師と信徒は対等。」
「牧師は一つの職業なんだよ。」とおっしゃっています。
今回旅行先で訪れた教会で、牧師とお話をしていて、そのことがふに落ちた感じがしました。
当たり前だけど、先生は神学校を出ていらして、教団に属していらして、地域の人たちや信徒の方々、教会員以外のクリスチャン、多くの方々に仕えていて、素晴らしい働きをされていますが、
でもまったく目立つようなところはなくて、普通の人。
先生とお話をして、神様のこと、信仰のことについてもお話ししましたが、他のクリスチャンの友達とまったく変わらない。
「女性牧師が怖い。女性牧師が苦手」ということについて今まで誰かに話したことも、相談したこともなかったし、
その思いから回復したいとわたしはまったく望んでもいなかったし、今までそのことについても回復させてくださいと祈ったことはなかったけど、「女性牧師」に対しての否定的イメージが変えられて
先生と知り合いになれて、本当によかった、と思いました。
わたしが望んでもいなくて、お願いしてもいなくて、願ってもいなかったことを知っていながらも、無理なく克服できるようによい出会いを与えてくださった神様に感謝しています。
神様、すごいです!
2023年12月17日
ブログの過去記事の掲載について考えたこと
以前から旧ブログの記事を載せてはいましたが、最近続けて過去記事をその日の日付で載せるようにしています。
所属している教会がカルト化しているかも、と気づいて、脱会を考え始めたり、カルト化教会を脱会して、自分の被害の大きさ、所属していたカルト化教会の実態に気がつくと、
(こんな被害を受けているのはわたしだけかも。)
(こんなに悩み、恐れているのはわたしだけかも。)と悩むことが多いです。
そんな方たちに、カルト化している教会は他にもあること、
カルト化教会の問題、被害者の支援に詳しい専門のカウンセラー、カルト化問題に詳しく予防啓発や被害者支援に取り組んでいる牧師がいること、
カウンセリングを受け、カルト化の間違った教えやマインドコントロールのことを知り、リハビリに取り組めば回復できること、
以前からカルト化問題は起きていて、被害者も多くいたけれど、脱会してカウンセリングを受け、リハビリを続けていけばみんな元気になれること。
それを伝えたくて、ブログを続けています。
正統的な教会の牧師やクリスチャンにも、カルト化している教会でどんなことが行われていたのか、
被害者のかかえる問題は、普通の教会、牧師、クリスチャンにも関係のない話ではないこと。
普通の、正統的な教会の方々には、すぐには「被害者を支援してください」、「助けてください」とは言えないけど、そしてそれは難しいことではあると思うけど、
キリスト教会と言っていても、カルト化している教会はある、被害者がいて、その被害は深刻なこと。
助けることは難しくても、理解者にはなってほしい。
そういうことを伝えたくて、ブログを書いています。
わたしは過去記事を載せることに多少の躊躇する気持ちがありました。
以前わたしもそうでしたが、被害者のブログは牧師やカウンセラーのブログよりも、感情移入して読んでしまうし、
気にいったり、(わたしと同じだ。)と思ったら、その記事を何度も読んだり、自分のリハビリの参考にしたりしてしまいます。
わたしも過去そういうことがありましたが、途中で
(何か違うな。)と気がついて、他の被害者のブログを自分のリハビリの参考にすることはやめました。
一つの情報としては読みます。
その人のいたカルト化教会で起きた出来事を読んで、(わぁー、他にも似たようなことをしている教会があったんだ。)
(他にも同じようなことを教えていた牧師がいたんだ。)
と知ることがあります。
また他の人のブログを読んで、(カルト化牧師や養護派の牧師たちって繋がっているんだ。
ネットワークがあるんだ。)と気づくこともありました。
(こんな気持ちってわたしだけではなかったんだなぁ。)と思うこともあります。
被害者のブログ、脱会者のブログは、励ましにはなるかもしれないけど、リハビリには参考にしない方がいい、というのがわたしの考えです。
被害からの回復のためには、専門家に自分の受けた被害を相談して、問題解決の取り組みが必要です。
強い恐怖心、人間不信、強い不安感、フラッシュバック、よくうつ状態、その他心の問題の場合は、本格的なカウンセリングが必要です。
わたしが過去記事をブログに載せることに躊躇したのは、たとえばわたしのフラッシュバックのこととカウンセリング経験を書いた記事を読んだ人が、
(ここに書いてあることとわたしの今のつらさ、状況が似ているから、同じだから、ここに書いてあるようにやってみよう。
ここに書いてあるように考えたらいいんだ。よくなるんだ。)と思ってしまうこと。
とくにそれを専門家やカウンセラーに相談しないで、ブログだけ、ネット情報だけを読んで自分のことと重ね合わせて考え、それが「リハビリだ」と思ってしまう人がいたら…。
それがとても気になっていました。
そう考えると、自分の脱会後の後遺症やカウンセリングでのアドバイス、過去の記事は載せない方がいいのでは…と迷っていました。
しかし、過去の記事は載せ、後に記事を読み返して今思うこと、「今はこう考える」、
「あの時はこうだったけど、今はこの部分はこのように変わりました」などと載せたら役立つとアドバイスを受け、載せることにしました。
被害者の方々にはぜひ自分の問題を専門家に相談し、問題に取り組み、心のことについてはきちんと本格的なカウンセリングを受けてもらえたら…と思います。
所属している教会がカルト化しているかも、と気づいて、脱会を考え始めたり、カルト化教会を脱会して、自分の被害の大きさ、所属していたカルト化教会の実態に気がつくと、
(こんな被害を受けているのはわたしだけかも。)
(こんなに悩み、恐れているのはわたしだけかも。)と悩むことが多いです。
そんな方たちに、カルト化している教会は他にもあること、
カルト化教会の問題、被害者の支援に詳しい専門のカウンセラー、カルト化問題に詳しく予防啓発や被害者支援に取り組んでいる牧師がいること、
カウンセリングを受け、カルト化の間違った教えやマインドコントロールのことを知り、リハビリに取り組めば回復できること、
以前からカルト化問題は起きていて、被害者も多くいたけれど、脱会してカウンセリングを受け、リハビリを続けていけばみんな元気になれること。
それを伝えたくて、ブログを続けています。
正統的な教会の牧師やクリスチャンにも、カルト化している教会でどんなことが行われていたのか、
被害者のかかえる問題は、普通の教会、牧師、クリスチャンにも関係のない話ではないこと。
普通の、正統的な教会の方々には、すぐには「被害者を支援してください」、「助けてください」とは言えないけど、そしてそれは難しいことではあると思うけど、
キリスト教会と言っていても、カルト化している教会はある、被害者がいて、その被害は深刻なこと。
助けることは難しくても、理解者にはなってほしい。
そういうことを伝えたくて、ブログを書いています。
わたしは過去記事を載せることに多少の躊躇する気持ちがありました。
以前わたしもそうでしたが、被害者のブログは牧師やカウンセラーのブログよりも、感情移入して読んでしまうし、
気にいったり、(わたしと同じだ。)と思ったら、その記事を何度も読んだり、自分のリハビリの参考にしたりしてしまいます。
わたしも過去そういうことがありましたが、途中で
(何か違うな。)と気がついて、他の被害者のブログを自分のリハビリの参考にすることはやめました。
一つの情報としては読みます。
その人のいたカルト化教会で起きた出来事を読んで、(わぁー、他にも似たようなことをしている教会があったんだ。)
(他にも同じようなことを教えていた牧師がいたんだ。)
と知ることがあります。
また他の人のブログを読んで、(カルト化牧師や養護派の牧師たちって繋がっているんだ。
ネットワークがあるんだ。)と気づくこともありました。
(こんな気持ちってわたしだけではなかったんだなぁ。)と思うこともあります。
被害者のブログ、脱会者のブログは、励ましにはなるかもしれないけど、リハビリには参考にしない方がいい、というのがわたしの考えです。
被害からの回復のためには、専門家に自分の受けた被害を相談して、問題解決の取り組みが必要です。
強い恐怖心、人間不信、強い不安感、フラッシュバック、よくうつ状態、その他心の問題の場合は、本格的なカウンセリングが必要です。
わたしが過去記事をブログに載せることに躊躇したのは、たとえばわたしのフラッシュバックのこととカウンセリング経験を書いた記事を読んだ人が、
(ここに書いてあることとわたしの今のつらさ、状況が似ているから、同じだから、ここに書いてあるようにやってみよう。
ここに書いてあるように考えたらいいんだ。よくなるんだ。)と思ってしまうこと。
とくにそれを専門家やカウンセラーに相談しないで、ブログだけ、ネット情報だけを読んで自分のことと重ね合わせて考え、それが「リハビリだ」と思ってしまう人がいたら…。
それがとても気になっていました。
そう考えると、自分の脱会後の後遺症やカウンセリングでのアドバイス、過去の記事は載せない方がいいのでは…と迷っていました。
しかし、過去の記事は載せ、後に記事を読み返して今思うこと、「今はこう考える」、
「あの時はこうだったけど、今はこの部分はこのように変わりました」などと載せたら役立つとアドバイスを受け、載せることにしました。
被害者の方々にはぜひ自分の問題を専門家に相談し、問題に取り組み、心のことについてはきちんと本格的なカウンセリングを受けてもらえたら…と思います。
Posted by スイトピー at
20:45
│カルト後遺症とリハビリ
2023年11月25日
17年間を思い返して考えていること
先にわたしが10年前に書いた旧ブログの記事を投降しました。
あれから10年。
何だかずいぶん遠いことのように思えます。
あの頃は、(このつらさ、苦しみは何10年も続くんだろうか。
死ぬまでこんな苦しみが続くのかな。)と考えていました。
10年後こんなに楽な気持ちで、普通に生活できるようになるなんて想像もしていなかったです。
先ほど投降した記事とそこにある聖書の言葉をを読み返して今わたしが思うこと。
それはイエス様は「よくなりたいか」と問いかけ、
「とこを取り上げて歩きなさい。」と励まされただけでなく、
わたしの回復のために必要な人たちと出会わせてくださり、医療や本、
必要なものを与えてくださったということ。
この10年の間、いやカルト化教会を脱会して17年の間、
心の不調だけではなく、病気も試練もありました。
悩むこともありました。
後遺症がつらい時は、後遺症プラスアルファになるのだから、そうとうにつらかったけど…。
でもどんなときも神様は解決に導いてくださったし、試練を成長の機会にしてくださいました。
試練を通して様々なことを教えてくださいました。
それらの出来事一つ一つを通して、神を信頼できるようにしてくださいました。
そのことに感謝しています。
と今はこんな風に書いているけど、そう思えるようになるまでには
時間がかかったし、つらい所を通りました。
そしてそれはわたしが心が強くなったとか、信仰が強くなったんじゃなくて、
神様の一方的な恵、あわれみだったなぁと思っています。
2023年11月24日
立ち上がらせてくださる主のお言葉(旧ブログ記事) 2
☆ 旧ブログの記事です。
前回の続きです。
2013/8/17 1:44
「立ち上がらせてくださる主のお言葉 2」 聖書の勉強
前回からの続きです。
イエス様は「良くなりたいか」という御言葉でその人の中にある絶望的な思いを引き出して、それを聞いてくださったけど、ただ同情するだけ、優しい言葉を言うだけはなさらなくて、
「起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい。」と力強く励ましておられるのです。
この人の事を「絶望にうずくまっている」と加藤先生は説明しておられますが、イエス様はその絶望にうずくまっている人にただ同情するだけではないし、
「絶望的になって、悲観的になっても、立ち上がる気力がなくても仕方がないよね。それだけつらいんだから、気力がないから、立ち上がる気持ち、直りたいという気持ちになれなくても仕方がないね。」と接したのではなくて、
「起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい。」と言われた、立ち上がるようにといつまでも絶望していてはいけないって言われたのですね。励ましてくださったのですね。
イエス様はその人の絶望を希望に変えてくださって、立ち上がれるようにしてくださるお方なんだと知りました。
神を信じて希望を持って歩んでいけるようにしてくださるお方なのですね。
癒やされた人にイエス様は再び出会われて、「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪い事が起こるかもしれない。」と言われました。
これを今まで私は「この人は罪を犯したから38年間もの病に苦しんだんだ。癒やされてもまた罪を犯したらもっと酷い病気になるとか、地獄に落ちるって事を言っているのかも…」と読んでいて怖かったです。
(どうして今までこの箇所を村上先生に質問しなかったんだろう?)
でも、加藤先生の説明を読むと、この部分で書かれている「罪」というのは、「神を信じない、絶望している罪」という意味で、
その絶望から出る事、そうでないともっと酷いことになるという警告という事でした。
この説明を読んでこの御言葉の読み方が変えられました。
それは「もっと酷いことになるよ。」と私たちに恐怖心を起させるための言葉ではなくて、
「絶望しないで、神を信じて、神に信頼して希望を持って生きなさい」というイエス様の勧めの御言葉、絶望は滅びにいたるのだから、希望を持って生きるようにという励ましの言葉だと思いました。
苦手だった聖書の言葉が一つ一つ理解できるようになって、好きになっていけるのが嬉しいです。
前回の続きです。
2013/8/17 1:44
「立ち上がらせてくださる主のお言葉 2」 聖書の勉強
前回からの続きです。
イエス様は「良くなりたいか」という御言葉でその人の中にある絶望的な思いを引き出して、それを聞いてくださったけど、ただ同情するだけ、優しい言葉を言うだけはなさらなくて、
「起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい。」と力強く励ましておられるのです。
この人の事を「絶望にうずくまっている」と加藤先生は説明しておられますが、イエス様はその絶望にうずくまっている人にただ同情するだけではないし、
「絶望的になって、悲観的になっても、立ち上がる気力がなくても仕方がないよね。それだけつらいんだから、気力がないから、立ち上がる気持ち、直りたいという気持ちになれなくても仕方がないね。」と接したのではなくて、
「起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい。」と言われた、立ち上がるようにといつまでも絶望していてはいけないって言われたのですね。励ましてくださったのですね。
イエス様はその人の絶望を希望に変えてくださって、立ち上がれるようにしてくださるお方なんだと知りました。
神を信じて希望を持って歩んでいけるようにしてくださるお方なのですね。
癒やされた人にイエス様は再び出会われて、「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪い事が起こるかもしれない。」と言われました。
これを今まで私は「この人は罪を犯したから38年間もの病に苦しんだんだ。癒やされてもまた罪を犯したらもっと酷い病気になるとか、地獄に落ちるって事を言っているのかも…」と読んでいて怖かったです。
(どうして今までこの箇所を村上先生に質問しなかったんだろう?)
でも、加藤先生の説明を読むと、この部分で書かれている「罪」というのは、「神を信じない、絶望している罪」という意味で、
その絶望から出る事、そうでないともっと酷いことになるという警告という事でした。
この説明を読んでこの御言葉の読み方が変えられました。
それは「もっと酷いことになるよ。」と私たちに恐怖心を起させるための言葉ではなくて、
「絶望しないで、神を信じて、神に信頼して希望を持って生きなさい」というイエス様の勧めの御言葉、絶望は滅びにいたるのだから、希望を持って生きるようにという励ましの言葉だと思いました。
苦手だった聖書の言葉が一つ一つ理解できるようになって、好きになっていけるのが嬉しいです。
2023年11月24日
立ち上がらせてくださる主のお言葉(旧ブログ記事) 1
☆ 旧ブログの記事を時々載せています。
この記事を書いた日付で投稿しようと思っていましたが、読み返していて、現在の日付で投稿することにしました。
この記事を書いた当時、わたしはカルト化教会奪回後7年目でしたが、
まだ後遺症に悩み、落ち込み、強い不安や人への恐怖心んもありました。
被害者同氏の交流やカウンセリングもとても助けになりましたが、加藤先生の本にもとても励まされました。
もう1度読み返してみようと思っています。
今、カルト後遺症、教会での被害、その他で落ち込み、不安を感じ、恐怖心をいだき、悩んでいる方の励ましになれば…と思い、投稿します。
2013/8/17 1:18
「立ち上がらせてくださる主のお言葉 1」 聖書の勉強
「加藤常昭信仰講話 主イエスの生涯」(加藤 常昭 著、教文館) この本から教えられた事を前回の記事で書きました。
どんな御言葉もイエス様の愛、私たちに平安を与えるためのものとわかり始めた事が嬉しいです。
その中の一つがヨハネによる福音書第5章1-18節のお話です。
「その後、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。
エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で『ベツサダ』と呼ばれる池があり、そこには五つのかいろうがあった。
このかいろうには、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。
彼らは、水が動くのを待っていた。
それは、主のつかいが時々池に下りてきて、水が動く事があり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、癒されたからである。
さて、ここに38年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『よくなりたいか』と言われた。
病人は答えた。『主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいないのです。
私が行くうちに、他の人が先に降りていくのです』。
イエスは言われた。『起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい』。
すると、その人はすぐによくなって、とこを担いで歩き出した。
その日は安息日であった。そこで、ユダヤ人たちは病気を癒していただいた人に言った。
『今日は安息日だ。だからとこを担ぐことは、律法で赦されていない』。
しかし、その人は、『私を癒してくださった方が、「とこを担いで歩きなさい」と言われたのです。』と答えた。
彼らは『お前に「とこを担いで歩きなさい」と言ったのは誰だ』と訪ねた。
しかし、病気を癒していただいた人は、それが誰であるか知らなかった。
イエスは、群集がそこにいる間に、立ち去られたからである。
その後、イエスは、神殿のけいだいでこの人に出会って言われた。
『あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけないさもないと、もっと悪い事が起こるかもしれない』。』
この人は立ち去って、自分を癒したのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。
そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。
イエスが、安息日にこのような事をしておられたからである。
イエスはお答えになった。
『私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ』。
このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと狙うようになった。
イエスが安息日をやぶるだけでなく、神をご自分の父と呼んで、ご自身を神と等しいものとされたからである。」
「良くなりたいか」。イエス様のこの御言葉が若い時派わからなかった、と加藤先生は書いておられます。
私もずっとこのイエス様の御言葉の意味がわかりませんでした。
38年間も病気なのだから直りたいのは当たり前ではないか。どうしてイエス様はわざわざこんな事をお尋ねになったのだろう?と思いました。
しかし、数ヶ月前にこの箇所を読んでいて気づいた事がありました。
この男は「主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいないのです。私が行くうちに、他の人が先に下りていくのです」と答えています。
イエス様は「良くなりたいか」と訪ねられたのに、この人は「自分が良くなれない理由」「自分の状況がどんなに絶望的か」を言っています。あきらめているからそのように答えたのかな?と思いました。
加藤先生は、このように説明しています。
おそらく「良くなりたいか」と言われても「はい、直りたいです」とすぐに答える気力も失っていたのです。病気の中にうずくまって動かない。
それがこの人の揺るがない現実、生活になってしまっておりました。「加藤常昭信仰講話 主イエスの生涯」(加藤 常昭 著、教文館)
私たちもイエス様から「良くなりたいのか」と言われると、すぐに「はい!」とは言えない。
それほどに絶望している。
そのような説明の後でこう書いてあります。
「イエスは言われた。『起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい』。
突然のイエスのご命令です。絶望の男を立たせる命令です。絶望と戦い、突き破る戦い開始の命令です。
そんなことではだめだ。立つんだ。立つ事ができるのだから。
主イエスはそのようにして、この男の中に「良くなりたい、健やかになりたい、健康に生きよう」という望みを呼び起こしてくださると共に、その御言葉で男を立たせ、歩ませてくださいました。
絶望の印であるとこを担いで歩き始めさせてくださいました。
「加藤常昭信仰講話 主イエスの生涯」(加藤 常昭 著、教文館)
イエス様は、この人の絶望を知っておられて、「良くなりたいか:」と訪ねられ、この人の心の内にあった「絶望の気持ち」を聞いてくださった、耳を傾けて聞いてくださったと思いました。
でも、「起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい」と言われました。
それはとても深い慰めだし、励ましだと思いました。
慰めに満ちた励ましだと思いました。
試練の中に遭って絶望している人を励まそうと思って「頑張って」と言ったら傷つけてしまう事も多いと思うけど、イエス様の励ましはそれとはまったく違うんだなあと思いました。
私は加藤先生の本を読むまでは、「良くなりたいか」というイエス様の御言葉だけに心をとめて読んでいて、
(私は絶望していたけど、イエス様は「良くなりたいか」と言ってくださる。だからだめだと思い込むのではなくて、「はい、良くなりたいです。」と本当の願いを聞いていただこう。)と思いました。
そしてこの部分を読んだり、思い出すとき、いつも励まされていました。
しかし、その後の「起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい。」という御言葉も大好きな言葉になりました。(続く)
この記事を書いた日付で投稿しようと思っていましたが、読み返していて、現在の日付で投稿することにしました。
この記事を書いた当時、わたしはカルト化教会奪回後7年目でしたが、
まだ後遺症に悩み、落ち込み、強い不安や人への恐怖心んもありました。
被害者同氏の交流やカウンセリングもとても助けになりましたが、加藤先生の本にもとても励まされました。
もう1度読み返してみようと思っています。
今、カルト後遺症、教会での被害、その他で落ち込み、不安を感じ、恐怖心をいだき、悩んでいる方の励ましになれば…と思い、投稿します。
2013/8/17 1:18
「立ち上がらせてくださる主のお言葉 1」 聖書の勉強
「加藤常昭信仰講話 主イエスの生涯」(加藤 常昭 著、教文館) この本から教えられた事を前回の記事で書きました。
どんな御言葉もイエス様の愛、私たちに平安を与えるためのものとわかり始めた事が嬉しいです。
その中の一つがヨハネによる福音書第5章1-18節のお話です。
「その後、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。
エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で『ベツサダ』と呼ばれる池があり、そこには五つのかいろうがあった。
このかいろうには、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。
彼らは、水が動くのを待っていた。
それは、主のつかいが時々池に下りてきて、水が動く事があり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、癒されたからである。
さて、ここに38年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『よくなりたいか』と言われた。
病人は答えた。『主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいないのです。
私が行くうちに、他の人が先に降りていくのです』。
イエスは言われた。『起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい』。
すると、その人はすぐによくなって、とこを担いで歩き出した。
その日は安息日であった。そこで、ユダヤ人たちは病気を癒していただいた人に言った。
『今日は安息日だ。だからとこを担ぐことは、律法で赦されていない』。
しかし、その人は、『私を癒してくださった方が、「とこを担いで歩きなさい」と言われたのです。』と答えた。
彼らは『お前に「とこを担いで歩きなさい」と言ったのは誰だ』と訪ねた。
しかし、病気を癒していただいた人は、それが誰であるか知らなかった。
イエスは、群集がそこにいる間に、立ち去られたからである。
その後、イエスは、神殿のけいだいでこの人に出会って言われた。
『あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけないさもないと、もっと悪い事が起こるかもしれない』。』
この人は立ち去って、自分を癒したのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。
そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。
イエスが、安息日にこのような事をしておられたからである。
イエスはお答えになった。
『私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ』。
このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと狙うようになった。
イエスが安息日をやぶるだけでなく、神をご自分の父と呼んで、ご自身を神と等しいものとされたからである。」
「良くなりたいか」。イエス様のこの御言葉が若い時派わからなかった、と加藤先生は書いておられます。
私もずっとこのイエス様の御言葉の意味がわかりませんでした。
38年間も病気なのだから直りたいのは当たり前ではないか。どうしてイエス様はわざわざこんな事をお尋ねになったのだろう?と思いました。
しかし、数ヶ月前にこの箇所を読んでいて気づいた事がありました。
この男は「主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいないのです。私が行くうちに、他の人が先に下りていくのです」と答えています。
イエス様は「良くなりたいか」と訪ねられたのに、この人は「自分が良くなれない理由」「自分の状況がどんなに絶望的か」を言っています。あきらめているからそのように答えたのかな?と思いました。
加藤先生は、このように説明しています。
おそらく「良くなりたいか」と言われても「はい、直りたいです」とすぐに答える気力も失っていたのです。病気の中にうずくまって動かない。
それがこの人の揺るがない現実、生活になってしまっておりました。「加藤常昭信仰講話 主イエスの生涯」(加藤 常昭 著、教文館)
私たちもイエス様から「良くなりたいのか」と言われると、すぐに「はい!」とは言えない。
それほどに絶望している。
そのような説明の後でこう書いてあります。
「イエスは言われた。『起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい』。
突然のイエスのご命令です。絶望の男を立たせる命令です。絶望と戦い、突き破る戦い開始の命令です。
そんなことではだめだ。立つんだ。立つ事ができるのだから。
主イエスはそのようにして、この男の中に「良くなりたい、健やかになりたい、健康に生きよう」という望みを呼び起こしてくださると共に、その御言葉で男を立たせ、歩ませてくださいました。
絶望の印であるとこを担いで歩き始めさせてくださいました。
「加藤常昭信仰講話 主イエスの生涯」(加藤 常昭 著、教文館)
イエス様は、この人の絶望を知っておられて、「良くなりたいか:」と訪ねられ、この人の心の内にあった「絶望の気持ち」を聞いてくださった、耳を傾けて聞いてくださったと思いました。
でも、「起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい」と言われました。
それはとても深い慰めだし、励ましだと思いました。
慰めに満ちた励ましだと思いました。
試練の中に遭って絶望している人を励まそうと思って「頑張って」と言ったら傷つけてしまう事も多いと思うけど、イエス様の励ましはそれとはまったく違うんだなあと思いました。
私は加藤先生の本を読むまでは、「良くなりたいか」というイエス様の御言葉だけに心をとめて読んでいて、
(私は絶望していたけど、イエス様は「良くなりたいか」と言ってくださる。だからだめだと思い込むのではなくて、「はい、良くなりたいです。」と本当の願いを聞いていただこう。)と思いました。
そしてこの部分を読んだり、思い出すとき、いつも励まされていました。
しかし、その後の「起き上がりなさい。とこを担いで歩きなさい。」という御言葉も大好きな言葉になりました。(続く)
2023年07月24日
わたしはマインドコントロールされていたんだ
村上先生のカウンセリングを受けたり、同じカルト化教会脱会者、他のカルト化教会脱会者と話をしたり、マインドコントロールについての本を読むうちに、
自分が脱会した教会で、マインドコントロールが行われていたことがわかってきました。
また、正しい聖書解釈とは違う誤ったことが教えられていたことにも気づき始めました。
マインドコントロールについてですが、たとえば情報操作。
「一人で聖書を読んでいたら、誤った解釈の仕方をしてしまうから、聖研やセミナーに出て、学びなさい。」
「信仰書を読んだりするよりも、きちんと聖研に出ている方が深い学びができるのです。」
「新聞を読むよりも、聖書を読んだ方がいいですよ。」
「信仰書は、三浦綾子さんの本か、星野とみひろさんの本ならいいでしょう。
それ以外は勧められるものがあまりないですね。
それよりも、もっと聖書読みなさい。」
このような言葉で、信仰書や新聞を読むことを躊躇させたのです。
「信仰書を読むより聖書を読みなさい。」
これは一見、正しいように聞こえますが、情報を制限されることで、
信徒は教会で牧師に教えられた解釈以外のことを学ぶ機会が奪われるので、
聖書の言葉を使って虐待的牧師は、信徒をマインドコントロールしやすくなるのです。
また、私が行っていたカルト化教会では、他の教会から人が来るのは大歓迎でしたが、
自分たちの教会の信徒が他の教会に、とくに礼拝に行くのは厳しく注意されました。
「教会の兄弟姉妹は、みんなあなたと一緒に神様を礼拝したいと思っているんですよ。
自分たちの家族が他の家に行ってしまうのはさびしいでしょう?
教会は神様が与えてくれた家族なんですよ。」
そのようなことを言われて、わたしも叱責されたことがありました。
ふと疑問に思っても、質問も反論もできず、ただ従うしかありませんでした。
それは、今思うと、正統派教会との違いに気づくことをさせないための、マインドコントロール、情報操作でした。
そして、「あなたが日曜に他教会で礼拝を守ると皆がさびしくなる」というのは、わたしを思っての言葉ではなくて、
(ああ、皆にさびしい思いをさせてしまって悪かったな。)と
思わせるための、「感情コントロール」だったのです。
わたしが幼稚園の頃のいじめのトラウマがあって、「子供が恐い」と打ち明けたときも、
虐待的牧師は、「それは神様からじゃないね。」と言いました。
(神様からではないって、じゃあ、悪魔からってこと?)と思い、恐怖を感じたことを今も覚えています。
カルト化教会では、そのようにして、恐怖心を利用するのです。
ある礼拝メッセージの中で虐待的牧師は、「わたしたち、本当のクリスチャンは…」と言いました。
たしか、「日本には1%のクリスチャンがいるけれど、その中で本当に神を礼拝し、従っているクリスチャンがどれほどいるか」という話だったと思います。
自分たちを「本当の」と言うことで、「本当の」という言葉を使うことで、
教会メンバーに(わたしたちは、他教会の人たちより優れているんだ!)というエリート意識を植え付け、
ますます頑張って奉仕をしたり、虐待的牧師に依存させるための、マインドコントロールだったのです。
自分が6年半も通った所を、イエス様の愛があり、聖書に基づいた福音が語られ、自由に幸せになれる場所と信じていたのに、
蓋を開けてみると、愛がなく、牧師が信徒に「信仰の虐待」を行っており、
み言葉を乱用しており、サタン追い出し、悪霊追い出しをして、神対悪魔の2元論に陥らせ、
多くの奉仕と虐待的牧師への依存と服従をさせたことで、信徒の心と時間を、自由を奪ったのです。
わたしは脱会した教会で、虐待的牧師から信仰の虐待を受けていた。
マインドコントロールされていた。
そのことに気づくことは、それまで信じてきただけに、ショックであり、悔しい思いになり、悲しくなりました。
しかし、その反面、一つ一つのことを検証し、話し合うことで、不透明だった部分が明らかになり、霧が晴れていくような気持ちにもなりました。
自分が脱会した教会で、マインドコントロールが行われていたことがわかってきました。
また、正しい聖書解釈とは違う誤ったことが教えられていたことにも気づき始めました。
マインドコントロールについてですが、たとえば情報操作。
「一人で聖書を読んでいたら、誤った解釈の仕方をしてしまうから、聖研やセミナーに出て、学びなさい。」
「信仰書を読んだりするよりも、きちんと聖研に出ている方が深い学びができるのです。」
「新聞を読むよりも、聖書を読んだ方がいいですよ。」
「信仰書は、三浦綾子さんの本か、星野とみひろさんの本ならいいでしょう。
それ以外は勧められるものがあまりないですね。
それよりも、もっと聖書読みなさい。」
このような言葉で、信仰書や新聞を読むことを躊躇させたのです。
「信仰書を読むより聖書を読みなさい。」
これは一見、正しいように聞こえますが、情報を制限されることで、
信徒は教会で牧師に教えられた解釈以外のことを学ぶ機会が奪われるので、
聖書の言葉を使って虐待的牧師は、信徒をマインドコントロールしやすくなるのです。
また、私が行っていたカルト化教会では、他の教会から人が来るのは大歓迎でしたが、
自分たちの教会の信徒が他の教会に、とくに礼拝に行くのは厳しく注意されました。
「教会の兄弟姉妹は、みんなあなたと一緒に神様を礼拝したいと思っているんですよ。
自分たちの家族が他の家に行ってしまうのはさびしいでしょう?
教会は神様が与えてくれた家族なんですよ。」
そのようなことを言われて、わたしも叱責されたことがありました。
ふと疑問に思っても、質問も反論もできず、ただ従うしかありませんでした。
それは、今思うと、正統派教会との違いに気づくことをさせないための、マインドコントロール、情報操作でした。
そして、「あなたが日曜に他教会で礼拝を守ると皆がさびしくなる」というのは、わたしを思っての言葉ではなくて、
(ああ、皆にさびしい思いをさせてしまって悪かったな。)と
思わせるための、「感情コントロール」だったのです。
わたしが幼稚園の頃のいじめのトラウマがあって、「子供が恐い」と打ち明けたときも、
虐待的牧師は、「それは神様からじゃないね。」と言いました。
(神様からではないって、じゃあ、悪魔からってこと?)と思い、恐怖を感じたことを今も覚えています。
カルト化教会では、そのようにして、恐怖心を利用するのです。
ある礼拝メッセージの中で虐待的牧師は、「わたしたち、本当のクリスチャンは…」と言いました。
たしか、「日本には1%のクリスチャンがいるけれど、その中で本当に神を礼拝し、従っているクリスチャンがどれほどいるか」という話だったと思います。
自分たちを「本当の」と言うことで、「本当の」という言葉を使うことで、
教会メンバーに(わたしたちは、他教会の人たちより優れているんだ!)というエリート意識を植え付け、
ますます頑張って奉仕をしたり、虐待的牧師に依存させるための、マインドコントロールだったのです。
自分が6年半も通った所を、イエス様の愛があり、聖書に基づいた福音が語られ、自由に幸せになれる場所と信じていたのに、
蓋を開けてみると、愛がなく、牧師が信徒に「信仰の虐待」を行っており、
み言葉を乱用しており、サタン追い出し、悪霊追い出しをして、神対悪魔の2元論に陥らせ、
多くの奉仕と虐待的牧師への依存と服従をさせたことで、信徒の心と時間を、自由を奪ったのです。
わたしは脱会した教会で、虐待的牧師から信仰の虐待を受けていた。
マインドコントロールされていた。
そのことに気づくことは、それまで信じてきただけに、ショックであり、悔しい思いになり、悲しくなりました。
しかし、その反面、一つ一つのことを検証し、話し合うことで、不透明だった部分が明らかになり、霧が晴れていくような気持ちにもなりました。
Posted by スイトピー at
00:01
│過去のカルト化教会の体験と脱会
2023年07月23日
驚きと感動
村上先生と初めて会ったのは、ファミリーレストランでした。
カルト化教会被害者の集まりがあって、そこに来ることを勧められたのですが、いきなり大勢の知らない人の中に行くのも気後れするし、
遠いこともあって、先生の予定に合わせてわたしが行けそうな場所で待ち合わせをしたのでした。
2時間ぐらいお話をしました。
相談内容はここでは触れませんが、初めて会ったその日、そして村上先生と会うたび、
そしてその後カルト化教会被害者の集りに参加するようになってからも、驚くことが続くのです。
初めて会った日、まず驚いたのは、「先生、ここまでタクシーでいらっしゃったんですか?」と聞いた私に、
「バスで来たんだよ。」とおっしゃったこと。
牧師先生が旅行先で移動する時って誰かが車で送るか、タクシー、レンタカーを使うものと思い込んでいたので、とても驚きました。
バスってレンタカーやタクシーに比べたら料金は安いけど、坐りごこちはよくないだろうし、バス停で待ってるのも暑いし大変なのになぁと思いました。
次に驚いたのは、話の途中で村上先生が、
「ドリンクバーで何かとって来ましょうか?」と言ってくださったこと。
ラブシャワーの時期なら牧師や教会員の人たちが誰かに愛を注ぐ、何かしてあげる、せわをやくってことはあるけれど…。
けれど、そうではない時に牧師が信徒のために動くなんて考えられないことです。
カルト化教会では、いつもスタッフや信徒が忙しくしているのが普通でした。
イベントや愛餐会の時も、虐待的牧師が何かしていると、スタッフや役員、信徒が
「先生、いいですから座っていてください。私がしますから。」と言ってすぐにその仕事をしていました。
牧師はカウンセリングをしたり、メッセージを語るのが主な仕事で、それ以外の雑用や洗い物なんて、信徒の仕事だと思っていました。
だから本当はコーヒーかオレンジジュースがほしかったけど、牧師先生に飲み物をとってきてもらうなんて申し訳なくて、
「ありがとうございます。大丈夫です。今はいいです。」と言って我慢しました。
その日の飲み物は先生がおごってくださいました。
それもとても申し訳なくて恐縮したのを覚えています。
(先生はそうおっしゃってるけど、おごってもらったら失礼だから、ここはお金をわたすべきかもしれない。)
(いや、先生がいいと言ってくださるんだから、それに従った方がいいかも…。)
わたしは葛藤しました。
さらに、席を立つ少し前から、とても困っていて、迷っていることがありました。
わたしは村上先生との話の後、バスでべつの所へ行くことにしていました。
お店からバス停は近いとは知っていましたが、場所がよくわかりません。
店員さんに聞くべきか、村上先生にお願いしてもいいのかすごく迷いました。
それは、カルト化教会時代、兄弟姉妹に送迎してもらっていたことがあって、そのことで虐待的牧師から責められたことがあったからです。
わたしの他にも送迎している人たちがいたので、送迎チームを作って週ごとに当番せいにしてはどうかという案が教会員の一人から総会の時に出ました。
「特定の人だけで担うのは大変だから…」と。
そうしたら、総会後私は虐待的牧師に呼び止められて責められました。
電話でも1時間近く話があり、私はその時悔い改めの祈りまでしたのです。
(送迎の件ではわたしは何も発言してないし、お願いもしてないのに責められるなんておかしな話です。
意見言ってくれた人も間違ったことは言ってないのに…。)
そのことですごく傷ついていたので、人に何かを頼むなんて怖くてしたくありませんでした。
牧師先生に頼むなんてよけいできないし、してはいけないのではと思いました。
でも、店員さんがどこにいるかもわからないし、近くに頼めそうな人もいないし、村上先生に頼むしかないなと感じて、思い切ってお願いしてみました。
すると、「いいよ。」と言って気軽に誘導してくださったのです。
そして私のバスが来るまで一緒に待っていてくださいました。
夏の暑い日なのに…。
その2ヵ月後、わたしは初めてカルト化教会被害者の集りに行きました。
会の後、皆でマクドナルドへ行きました。
村上先生も一緒でした。
その日、わたしは先生とはあまりお話できなかったけど、向かいで誰かとお話している村上先生を見ながら、感動していました。
だってカルト化教会では、牧師と信徒たちが一緒にマックに行くなんてまったくなかったし、
先生も本当に落ち着いた普通の雰囲気でお話されているのです。
カルト化教会だとファミレスやファーストフードに、牧師と一緒に入るなんてありません。
とくに他県から来てくださっている先生と一緒の時はレストランでランチ、食堂の定食などだったから、とても驚きました。
2度目に会った日、わたしは村上先生に、「牧師って教会で何をする人ですか?」と質問しました。
それは普通の教会のことがほとんど何もわからなかったからです。
先生は、「牧師と信徒は台頭なんだよ。
役割が違うだけで、神様の前には平等なんだよ。
牧師は仕えられる人ではなくて、仕える人なんだよ。
牧師は特別ではなく、普通の人。」と教えてくださいました。
でも、その時はまだ納得できなかったのです。
牧師はみ言葉を語ることが大きな役目で、それがあるから他のことは役員や信徒がするものだと思っていました。
雑用とか掃除なんて牧師はしないと思っていました。
それどころか、その頃までわたしは「牧師は神様に選ばれた特別な人。
神様の次に偉い人。
信徒とは別格。」と思っていました。
しかし、村上先生を見ていると、牧師も普通の人なんだってことが少しずつわかってきたのでした。
いいえ、普通以上にすすんで人々に、信徒に仕えているのでした。
聖書で牧師に対しては、「群れの見本となりなさい」って書かれているけど、
「仕える」ってこういうことなんだって知って感動しました。
カルト化教会被害者の集まりがあって、そこに来ることを勧められたのですが、いきなり大勢の知らない人の中に行くのも気後れするし、
遠いこともあって、先生の予定に合わせてわたしが行けそうな場所で待ち合わせをしたのでした。
2時間ぐらいお話をしました。
相談内容はここでは触れませんが、初めて会ったその日、そして村上先生と会うたび、
そしてその後カルト化教会被害者の集りに参加するようになってからも、驚くことが続くのです。
初めて会った日、まず驚いたのは、「先生、ここまでタクシーでいらっしゃったんですか?」と聞いた私に、
「バスで来たんだよ。」とおっしゃったこと。
牧師先生が旅行先で移動する時って誰かが車で送るか、タクシー、レンタカーを使うものと思い込んでいたので、とても驚きました。
バスってレンタカーやタクシーに比べたら料金は安いけど、坐りごこちはよくないだろうし、バス停で待ってるのも暑いし大変なのになぁと思いました。
次に驚いたのは、話の途中で村上先生が、
「ドリンクバーで何かとって来ましょうか?」と言ってくださったこと。
ラブシャワーの時期なら牧師や教会員の人たちが誰かに愛を注ぐ、何かしてあげる、せわをやくってことはあるけれど…。
けれど、そうではない時に牧師が信徒のために動くなんて考えられないことです。
カルト化教会では、いつもスタッフや信徒が忙しくしているのが普通でした。
イベントや愛餐会の時も、虐待的牧師が何かしていると、スタッフや役員、信徒が
「先生、いいですから座っていてください。私がしますから。」と言ってすぐにその仕事をしていました。
牧師はカウンセリングをしたり、メッセージを語るのが主な仕事で、それ以外の雑用や洗い物なんて、信徒の仕事だと思っていました。
だから本当はコーヒーかオレンジジュースがほしかったけど、牧師先生に飲み物をとってきてもらうなんて申し訳なくて、
「ありがとうございます。大丈夫です。今はいいです。」と言って我慢しました。
その日の飲み物は先生がおごってくださいました。
それもとても申し訳なくて恐縮したのを覚えています。
(先生はそうおっしゃってるけど、おごってもらったら失礼だから、ここはお金をわたすべきかもしれない。)
(いや、先生がいいと言ってくださるんだから、それに従った方がいいかも…。)
わたしは葛藤しました。
さらに、席を立つ少し前から、とても困っていて、迷っていることがありました。
わたしは村上先生との話の後、バスでべつの所へ行くことにしていました。
お店からバス停は近いとは知っていましたが、場所がよくわかりません。
店員さんに聞くべきか、村上先生にお願いしてもいいのかすごく迷いました。
それは、カルト化教会時代、兄弟姉妹に送迎してもらっていたことがあって、そのことで虐待的牧師から責められたことがあったからです。
わたしの他にも送迎している人たちがいたので、送迎チームを作って週ごとに当番せいにしてはどうかという案が教会員の一人から総会の時に出ました。
「特定の人だけで担うのは大変だから…」と。
そうしたら、総会後私は虐待的牧師に呼び止められて責められました。
電話でも1時間近く話があり、私はその時悔い改めの祈りまでしたのです。
(送迎の件ではわたしは何も発言してないし、お願いもしてないのに責められるなんておかしな話です。
意見言ってくれた人も間違ったことは言ってないのに…。)
そのことですごく傷ついていたので、人に何かを頼むなんて怖くてしたくありませんでした。
牧師先生に頼むなんてよけいできないし、してはいけないのではと思いました。
でも、店員さんがどこにいるかもわからないし、近くに頼めそうな人もいないし、村上先生に頼むしかないなと感じて、思い切ってお願いしてみました。
すると、「いいよ。」と言って気軽に誘導してくださったのです。
そして私のバスが来るまで一緒に待っていてくださいました。
夏の暑い日なのに…。
その2ヵ月後、わたしは初めてカルト化教会被害者の集りに行きました。
会の後、皆でマクドナルドへ行きました。
村上先生も一緒でした。
その日、わたしは先生とはあまりお話できなかったけど、向かいで誰かとお話している村上先生を見ながら、感動していました。
だってカルト化教会では、牧師と信徒たちが一緒にマックに行くなんてまったくなかったし、
先生も本当に落ち着いた普通の雰囲気でお話されているのです。
カルト化教会だとファミレスやファーストフードに、牧師と一緒に入るなんてありません。
とくに他県から来てくださっている先生と一緒の時はレストランでランチ、食堂の定食などだったから、とても驚きました。
2度目に会った日、わたしは村上先生に、「牧師って教会で何をする人ですか?」と質問しました。
それは普通の教会のことがほとんど何もわからなかったからです。
先生は、「牧師と信徒は台頭なんだよ。
役割が違うだけで、神様の前には平等なんだよ。
牧師は仕えられる人ではなくて、仕える人なんだよ。
牧師は特別ではなく、普通の人。」と教えてくださいました。
でも、その時はまだ納得できなかったのです。
牧師はみ言葉を語ることが大きな役目で、それがあるから他のことは役員や信徒がするものだと思っていました。
雑用とか掃除なんて牧師はしないと思っていました。
それどころか、その頃までわたしは「牧師は神様に選ばれた特別な人。
神様の次に偉い人。
信徒とは別格。」と思っていました。
しかし、村上先生を見ていると、牧師も普通の人なんだってことが少しずつわかってきたのでした。
いいえ、普通以上にすすんで人々に、信徒に仕えているのでした。
聖書で牧師に対しては、「群れの見本となりなさい」って書かれているけど、
「仕える」ってこういうことなんだって知って感動しました。
Posted by スイトピー at
05:15
│過去のカルト化教会の体験と脱会
2023年07月23日
理解者との出会い
そのように理解者が得られず、自分でもどうしたらいいのかわからない苦しみの中で、ただ一人わたしの話を聞いてくれたクリスチャンの友達がいました。
彼女はあるとき、「これは最近よく聞く教会のカルト化じゃないの?
カルトを扱っている専門家に相談した方がいいと思うよ。
何かするにしても、あなたが元気になる方が先だから。」と勧めてくれたのです。
「カルト化教会」「教会のカルト化」で検索すると、いくつかのホームページやブログがありました。
何人かの牧師やクリスチャンがこの問題を取り上げてくださっていました。
何度も何度もそれらのホームページを見て、誰に相談するか考えました。
そして村上密先生にメールしてみようと思いました。
村上先生のブログにカルト化教会の問題が多くとりあげられていること。
「ハーベストタイム」のホームページにも村上先生の名前と証があること。
それで村上先生にメールをしてみることにしたのでした。
でも、以前この問題で牧師に話したときも、一般的な教会のトラブルと思われたり、
うやむやな対応をされていたので、その時はかなり心配でした。
それに「専門家」と言うと、とっても偉そうな人というイメージがあるし、
カルトからの救出活動をしていて、カルト化教会の問題では裁判も手がけているなんて、すごく厳しくて怖そうなイメージもありました。
だからすぐに電話をかけれずに、メールにしたのでした。
その頃の私には、メールにするか電話にするか決めるだけでもとても時間がかかり、色々悩みました。
メールを書き始めても中々思うように文章が進みません。
3回ぐらい書き直して送信しました。
書きあげるまでとても時間がかかりました。
教会の問題で辛く苦しいということ。
カルト化教会ではないかと思ってチェックリストを使用したこと。
脱会者と会って話をしたこと。
今、どうしたらいいのかわからず困っていることなどを書きました。
メールを送信してから返事が気になって、しょっちゅうメールチェックをしていました。
(こんなに親身に活動されている先生だから、きっと私の苦しみもわかってくださるに違いない。)
(忙しい方だろうから、私のような者の話は聞いてくださらないかもしれない。)
(返事くださるかな…。)
様々な思いがうかびました。
翌日、仕事から帰ると、村上先生からのメールが届いていました。
ドキドキしながらメールを開くと、そこには慰めと励ましの言葉が続いていました。
初めに「よく相談してくれましたね。」と書いてあり、私が相談するまでにどれほど葛藤し、迷い、悩んだのか、それも知ってくれているように感じられました。
「スイトピーさんは序々に回復の道を歩みはじめています。」
と励ましの言葉、前向きな言葉、わたしを肯定してくれる言葉がありました。
今まで虐待的牧師からは表面的には「愛しています。」とか、「あなたのことが大切だから…」などと言われていましたが、
実際は信仰の虐待を受け、否定され、見下げられていました。
だから、牧師からこのような肯定的な評価を受けたことにとても驚き、嬉しく思いました。
カルト化教会で傷つき、なぜこんなに苦しいのか、どうしたらいいのかもわからないどんぞこの暗闇でもがいているようなわたしさへも認めてくれるんだと感動しました。
すぐに村上先生に電話をし、2時間ほどお話をしました。
村上先生は月に1度わたしの住む県に他のカルト化教会問題で来ておられるということで、
次回先生がいらっしゃる時会ってお話しすることになりました。
☆ この記事を書いたのはカルト化教会から奪回して1年ちょっと経った頃だったと思います。
今読み返すと、(あー、この頃のわたしはまだ牧師との人間関係を上下関係で考えていたんだなぁ。)とか
(認められるには元気で悩みがなくて、前向きでないといけない。)って意識がまだまだ強かったんだなぁと気がつきました。
彼女はあるとき、「これは最近よく聞く教会のカルト化じゃないの?
カルトを扱っている専門家に相談した方がいいと思うよ。
何かするにしても、あなたが元気になる方が先だから。」と勧めてくれたのです。
「カルト化教会」「教会のカルト化」で検索すると、いくつかのホームページやブログがありました。
何人かの牧師やクリスチャンがこの問題を取り上げてくださっていました。
何度も何度もそれらのホームページを見て、誰に相談するか考えました。
そして村上密先生にメールしてみようと思いました。
村上先生のブログにカルト化教会の問題が多くとりあげられていること。
「ハーベストタイム」のホームページにも村上先生の名前と証があること。
それで村上先生にメールをしてみることにしたのでした。
でも、以前この問題で牧師に話したときも、一般的な教会のトラブルと思われたり、
うやむやな対応をされていたので、その時はかなり心配でした。
それに「専門家」と言うと、とっても偉そうな人というイメージがあるし、
カルトからの救出活動をしていて、カルト化教会の問題では裁判も手がけているなんて、すごく厳しくて怖そうなイメージもありました。
だからすぐに電話をかけれずに、メールにしたのでした。
その頃の私には、メールにするか電話にするか決めるだけでもとても時間がかかり、色々悩みました。
メールを書き始めても中々思うように文章が進みません。
3回ぐらい書き直して送信しました。
書きあげるまでとても時間がかかりました。
教会の問題で辛く苦しいということ。
カルト化教会ではないかと思ってチェックリストを使用したこと。
脱会者と会って話をしたこと。
今、どうしたらいいのかわからず困っていることなどを書きました。
メールを送信してから返事が気になって、しょっちゅうメールチェックをしていました。
(こんなに親身に活動されている先生だから、きっと私の苦しみもわかってくださるに違いない。)
(忙しい方だろうから、私のような者の話は聞いてくださらないかもしれない。)
(返事くださるかな…。)
様々な思いがうかびました。
翌日、仕事から帰ると、村上先生からのメールが届いていました。
ドキドキしながらメールを開くと、そこには慰めと励ましの言葉が続いていました。
初めに「よく相談してくれましたね。」と書いてあり、私が相談するまでにどれほど葛藤し、迷い、悩んだのか、それも知ってくれているように感じられました。
「スイトピーさんは序々に回復の道を歩みはじめています。」
と励ましの言葉、前向きな言葉、わたしを肯定してくれる言葉がありました。
今まで虐待的牧師からは表面的には「愛しています。」とか、「あなたのことが大切だから…」などと言われていましたが、
実際は信仰の虐待を受け、否定され、見下げられていました。
だから、牧師からこのような肯定的な評価を受けたことにとても驚き、嬉しく思いました。
カルト化教会で傷つき、なぜこんなに苦しいのか、どうしたらいいのかもわからないどんぞこの暗闇でもがいているようなわたしさへも認めてくれるんだと感動しました。
すぐに村上先生に電話をし、2時間ほどお話をしました。
村上先生は月に1度わたしの住む県に他のカルト化教会問題で来ておられるということで、
次回先生がいらっしゃる時会ってお話しすることになりました。
☆ この記事を書いたのはカルト化教会から奪回して1年ちょっと経った頃だったと思います。
今読み返すと、(あー、この頃のわたしはまだ牧師との人間関係を上下関係で考えていたんだなぁ。)とか
(認められるには元気で悩みがなくて、前向きでないといけない。)って意識がまだまだ強かったんだなぁと気がつきました。
Posted by スイトピー at
00:10
│過去のカルト化教会の体験と脱会